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【小言】サラリーマンショートショート#4

本シリーズは筆者が日頃思っていることを短めの文章で紹介しながら、社会人としての悩みや思考、メンタリズムを垣間見れるちょっとしたお話を載せています。 読者の皆様の私生活のお役に立てたり、面白がってもらえたら嬉しいです。 ーーーーーーーーーー #4 悪い印象の払拭難易度激ムズな件 初対面の人と会うとき、第一印象の9割は見た目で決まるとか、最初が肝心だからとかで慎重になるよね、という話ではないことだけ伝えておきたい。 これは、ある中途入社者Aが3年経った今でも、入社後半年間で積み上げた悪い印象を払拭出来ていない話である。 Aは、分野の違う会社から26歳くらいで我が社に中途入社して、僕の職場に配属された。 最初は交代勤務の班に割り振られ、仕事をこなしていたが、その頃からあまり覚えが良くないことが話題になっていた。 気づいたら、社員である親族のツテで入社したからだとか、どこ卒業だからだとか、よからぬ噂が流れていた。 ある日、ふと彼と同じ班の社員と雑談交じりでAの業務態度や教育成果を聞く機会があった。 すると、教育者が「あいつは駄目ッス。向いてないです。」と発言していた。 何となく悪い予感をしていたが、確かに覚えが悪いような出来事が何回かあり、それを指摘されてからか、凄く休む回数が増えていった。 これにより、交代勤務者の勤務調整や休みの帳消しが連発し、業務も滞る事態が発生。 課員のAへのヘイトはうなぎ上りに溜まっていき、辞めてほしいという人まで現れた(本人には言ってない)。 最終的に精神的に参ったということで、Aは休業し、退社する話まで挙がっていた。 しかし、上長が情けをかけたのか、辞めることを引き止め、日勤者として仕事するようポジションを変えてあげたのだった。 この時点で、Aへのヘイトはとどまることを知らないかのように溜まっていくばかり。 日勤者になったあとは、上長のもとで仕事をしていたものの、与える(与えられる)業務があまりないため、マリモの業務の一部を手伝ってもらうことにした。 内容は書類を確認したり、Excelに入力したりする作業だが、作業者がいるだけで助かるのでお願いした。 すると、気づけば上長の手に余るということで、マリモのグループに入ることになった。 当時はまだマリモもプレイヤーで、まぁ、一緒に仕事するだけならと思っていた。 実際、Aはチェックやルーチン作業は得意...

きっかけと集中力なのでは

 先日、配信仲間がマイホームに遊びに来て、ゲームもせずに一泊二日で雑談と我が子と遊び続けた結果、動画編集が捗った話をする。 ゼルダの伝説スカイウォードソードの実況動画が #69 で止まり、チャンネル登録者数も微増減を続ける僕の 趣味チャンネル ですが、まだまだやりたいことはあるのよ。 1つは、スカイウォードソードの完結。何度も言いますが、ゲーム自体は全クリしているので編集して声を入れるだけ。 次回以降は、ダンジョン毎に動画を作り、移動や余計な行動は大幅にカットして大体30分ぐらいのものにしようと思っている。 声入りは雑談を交えながら、プレイ当時を振り返ったり、昔の自分を見るような気持ちでコメントをしていこうかなと。 と、思ってはいるがなかなか作業を始められない、という悩みを共有してみたところ、これが意外と盛り上がった。 そこから、こういうことしたら楽しいよね、こういう動画もいいよね、という話を友と妻と3人で2時間半程話していたみたい。 話題のきっかけにと思って、僕のチャンネルで2年間、ぶっちぎりで観続けられている動画について話してみた。 それがこれ。 【比較】朝食にシリアル食べるならどっちでショー【シスコーン/チョコワ】 「気になるけど、別に知らなくてもいいよねw」ってことを観たい人って結構いるんだよなぁっていう話をしてた。 個人的には、フロスティとシスコーンフレークも比較してみようかなって思ってます。 そのまま雑談は続き、友人とは翌朝まで楽しいひと時を過ごしたわけだけれども。 これが一つのきっかけになって、昨日の夜に編集ソフトを起動して、おもむろにカット作業を始めた。 そこからはずっと作業が捗り、2時間程の作業で3時間の動画を30分くらいにまで圧縮できた。 不思議なことに始めるまでが大変だった編集作業も終わってみれば、爽快感が凄く、結果的に工程自体が楽しかったように思える。 その前の夕方頃、妻と子が寝入った3時間の間、久しぶりに一人でゲームをした。 APEX遊んで何もわからなかったから、スパロボ30をはじめから遊び始めたのだけど、「ああ、このゲーム、やっぱ好きだったんだな。」と改めて思うことが出来た。 3時間ぶっ続けで遊び続けて、明日も遊ぼう、また遊ぼうと思うようになれた。 一昨日の夜はそれだけにとどまらず、久々に友人3人とフルパでAPEXを遊んで、現環境...

アイデアノート、はじめました

 2025年4月、マリモも社会人になり、日本に住んでいるので“年度初め”というものを10年以上は経験してる。すると、年末年始くらい「あ、何か新しいことやろうかな。」と思うわけ。30を超えてもチャレンジし続けることは大事だと僕は思う。← そこで今回は、昔からやろうと思っていたアイデアノートを始めてみようと思って、無印良品で小さいノートを買ってみた。 スマホでやればいいじゃんと思う時もあったけど、やっぱね、手書きなんだよ。それにイメージする時もあるから、ボールペンでささっと描けるかなとかね。 フリックで文字打つより、ボールペンで字を書いてる方が脳には良さそうだしね。 ほんと、思いついたことをとにかく書く感じで始めてみたのだけど、これがまた楽しい。 とにかく最初は新居について書いていたな。例えば、椅子変えたいとか、机のレイアウトどうするとか、買いたいものリストとか。 そのうち、ブログで書いておきたいこととかを羅列したり、自分の思考をアウトプットする場としてはXよりも自由闊達で良いなと感じてる。 せっかくなので、序盤に書いたことをここで消化していこうと思う。 ブログに書いたら、横線を引いていくんだ。 まずは、配線整理5.0について。こちらの動画をご覧いただきたい。 【配線整理5.0】PCデスク・撮影デスク・テレビ裏・ゲーム機・ルーター周りの配線方法。おすすめ配線グッズと配線アイデア。配線で使うべき100均アイテム オフィス新谷さんの動画で、語りに特徴があり、個人的には好きな部類。 PCデスクを選ぶ上でも見ておいてよかったなという動画だった。 あえてまとめないような配線整理をしていきたいと考えていた時にこの動画に出会い、まさに思っていたような内容だった。 配線の心得「隠さず束ねない」から始まり、新たな発見が多かった動画だった。 ケーブルタップの話とかは結構参考になりましたし、結果的に満足のいく配線が出来たのでとっても嬉しかったね。 ちなみにノートのメモには「配線整理5.0で自分の整理マインド2.0に」と書いてる。 続いて、「マウスパッド or キーボードスライダー」というもメモ。 ガチで悩んだ。どれくらい悩んだかというと、ヲタヲタなマウスパッドにしてやろうかと迷走したくらい。 好きなイラストが描いてあるマウスパッドをメルカリで調べまくったくらいで、そのせいでおススメが...

2025年2~4月の出来事をギュギュっと記

僕、ブログの記事を書く時は出来事を忠実に書くことも大事だけど、その時に感じたことや思ったこと、言葉にしにくい感覚を言語化することも大事にしているつもりなのよね。だから、今回の記事はいつもとは違うかもしれない、と思っている。 さて、本題を書いていこう。まずは各月の主な出来事を箇条書きしていって、その中から印象的なことを抜粋して書いていこうかな。 2月 ・初めてのお宮参りと誕生日が同じ日 ・里帰り出産からの帰宅日前日ぎっくり腰再発 ・友達家族と我が子の顔合わせ ・新居のローン最終契約でバタバタ ・我が子初めての予防接種 3月 ・久々の出社 ・新居の竣工立会 ・外国人の母、年金未受領事件 ・ニトリ購入家具、雹のため配送中止ブチギレ事件 ・新居引っ越し ・久々の飲み会で飲みすぎ 4月 ・我が子、100日祝 ・妻のお友達に我が子の顔合わせ ・妻、尿管結石になり、手術 ・義両親2泊3日旅行に同行 思ってたより、出来事が多くてびっくりしてる。 流石に全部については書けないので、雑談配信とか、ふと思い出した時に記事や動画にしたりで知ってもらえたら嬉しい。 ではまず、2月から。「里帰り出産からの帰宅日前日ぎっくり腰再発」について。 僕の育児休業は3月頭までではあるが、自宅への慣らしも必要と考え、2月中旬に自宅に帰る予定にしてたんだよね。 だから、2月第2週までに荷物をまとめていたわけだけど、こいつがまた軽くはないわけで。 起きたのは、帰宅予定日の前日。運送会社への引き渡しを終え、部屋の片づけをしていた時だった。 延長コードを拾おうと上半身を傾倒したその瞬間、ピキンッと腰から激痛が走った。 すぐさま妻に連絡し、本当だったら初めて子と3人で行くはずだった買い物に参加せず、ベッドに横になった。 非常に焦った僕は、あらゆる情報を取り入れ、ストレッチやマッサージを駆使、義母からお借りした電気マッサージ機も活用しながら、腰の回復に専念した。 結果、翌日には普通に歩ける程度まで回復することが出来たため、新幹線からレンタカー運転まで何とかこなすことができたわけだ。 個人的頑張ったエピソード上位に入る出来事だから、しばらくは忘れないと思う。 次に3月から、「ニトリ購入家具、雹のため配送中止ブチギレ事件」を話そう。 この事件で僕はニトリを嫌いになりそうだった。一瞬、嫌いだったね。 新居に向けて、ソファ、...

いつか笑い話に出来たら嬉しいこと

 年始に我が子が生まれて、無事育児休業に突入した僕。そこから2週間は初めてのことも多かったが、妻と子と幸せな時間をたくさん過ごせた本当に良い日々であった。親戚に祝われたり、久しぶりに会った友人に我が子を合わせることが出来たりとね。 しかし、良いことばかりが続くことってないんだな、と思ってしまうことが起きました。 今年3週間目に入った瞬間、僕の父が危篤状態にあると連絡が入りました。 姉から緊急入院した旨と共に明らかに心臓の鼓動が早まっていることに気づきました。 ただ僕は、妻子の傍に居たい。兄にも連絡して、兄と姉に任せようと思っていました。 もちろん、もしかしたら、死に目に会えないかもしれない。 その時、妻から「私は行ってってあげた方がいいと思う。この子はこれからがあるけど、お義父さんとの時間はもうないかもしれないんだよ。」と言われ、500kmの帰省を決意しました。 我が子はまだ1ヵ月健診が終わっていないため、外出することは出来ません。 親父に我が子を合わせることが出来ないかもしれない。せめて、テレビ電話だけでも。 お義父さんに新幹線が乗れる駅まで送ってもらうことになりました。 道中、「私達に出来ることは無事を祈ること、送り届けることだけだけど、気を付けて行って来てね。」と言ってくださり、非常に心強かったことを覚えています。 僕の父は先日94歳を迎え、昨年から腰より下が非常に弱っている状態でした。 1ヵ月前は意識ははっきりしていて、少し物忘れをするくらいで会話も出来ることは確認していました。 それが1ヵ月半経って、大腸からの多量出血により救急搬送される。 元々脱腸していることは知っていましたが、どうやらそれが悪さしていたようです。 人間は血液が身体から無くなっていくと生命活動に支障が出ます。父も例外ではないです。 新幹線に乗った僕は、これからやらなければいけないことを考えていました。 間に合わなかった時、間に合った時、火葬、葬儀、実家のこと…ぐちゃぐちゃでした。 搬送された病院は感染症対策もあり、予約制で面会となるため、その日中に帰れてもすぐには会えないことが途中でわかりました。 仕方ないですが、その前に色々と確認しないといけないこともあったため、まっすぐ実家に向かいました。 実家に着いた頃には兄も居ました。二人で最悪のケースについて話し合いました。 その後姉と...

父になって12日目の憂い

僕たちの子供はとにかく可愛い。とにかくすごく可愛い。僕の愛情、懐の広さを無限にしないと足りないくらいとか言いたい。2025年に入ってからは幸せな毎日である。 今日はその中で起きたちょっとしたエピソードを語ろうと思う。 沐浴を担当とさせてもらってから、5日目。 初日と比べたら、個人的には数段も上手くなったと思いたい。 この時、ついに我が子が泣かずに、気持ち良さそうな顔をするようになった。 本当に嬉しくて仕方がなかったが、油断すると子に何かあっては困るので、真剣に洗っていた。 いや、今思えば油断してたのかもしれない…。 背中を洗った後、それは起きた。 我が子が突然、見たことないくらい激しいモロー反射を起こした。 両手両足をバタバタさせて泣いている。 一体何が起きたのか。 ここで焦って手を離すわけには行かない。 何とか子を落ち着かせ、しっかり洗ってから、タオルに包んで妻に任せた。 結局何が起きたかは分からないが、僕はこのことが少しトラウマになりそうだった。 些細なことなのかもしれない。 だけど、これで子が沐浴を苦手になったり、水が怖くなったり、何か病気になってしまったりしていないだろうか。 致命的な障害に繋がってしまわないだろうか。 そんな心配が脳内を駆け巡った。 親戚が集まっている中、この不安を表に出すわけにはいかない、と何となく思っていた。 するとふとした時間に、妻と子、3人だけの部屋に休憩することが出来た。 愛おしそうに子を抱く妻を見ながら、ついに僕は泣くのを止められなかった。 「僕はこの子にどんなに嫌われてもいいから、僕のせいでこの子に何か良くないことが起きてしまうのは本当にたまらない…。」 と、妻にこぼした。 妻は優しく受け止めてくれたので落ち着いたし、今日もしっかり沐浴を行った。 僕ら夫婦は親になってまだ12日しか経っていない。 まだまだ初心者なのはわかっているし、最初から上手く出来ないのも理解できる。 知らないことも多い。日々勉強である。 妻と比べてしまうと、泣く程頑張ってるわけではないとも思う。 でも、自分が思っていた以上に必死だったのかもしれないと、気付かされた出来事だったかもしれないと、今なら思える。 これだけで終われば良かった。 忘れてはいけない。 藻生は子育てだけではない、と。 兄から姉から、両親に関する連絡が同日にドバドバと届いた。 少し前に新築...

2025年は愛する我が子の誕生から始まった

 最後の記事から2週間近く経ちましたが、誇大表現ではなく、人生が変わる2週間でした。 実際に起きたことは簡潔に書きつつ、僕の心情をメインに書いていこうかと思います。 そういうのが苦手な人は見ないのではなく、サラッと読んでください。← 僕も育児系の動画観ながら、気軽に書いているのでそれぐらいの気持ちで是非読んでね。 さて、2024年年末のことから話しましょう。 妻の実家に里帰り出産で2か月過ごしているのですが、年末年始は親戚が集まります。 当然、義兄弟皆様帰ってくるわけです。そこで事件が起きました。 妻の兄が里帰りしたその日、コロナ+インフルに罹ってしまいました。 車から降りる前に温度計を持ってきてくれと言った義兄は偉すぎました。 高温を知らされた私たち夫婦は、即時滞在している部屋に逃げ込みました。 以降、年末年始の間は義両親と義兄と切り離された生活をせざるを得なくなりました。 確かに困りましたが、一番困ったのは義兄です。辛い年末年始になっちゃいました。 元気になって本当に良かった。 絶対に、絶対に立ち会い出産をしたい私たちは、徹底的に隔離させてもらいました。 ただ、ご飯だけは義母に作ってもらっていたので、おぼん等の受け渡しで頂いてました。 この義兄コロナインフル事件により、副次的に発生した第二の事件が発生します。 おばあ様のいる母屋、妻が嫌すぎる事件です。 僕らの居室は二人で赤ちゃんのために過ごしやすくカスタマイズしていたので問題ないのですが、それ以外は違います。 母屋の中は外気温とほぼ変わらないし、妻的には苦手な印象を持っていて、トイレ以外は必要に迫られない限り行かないです。 トイレについてもお掃除シートを買うことを提案して行きやすくしたりしたくらいです。 そんな中、事は起きました。 年末年始のお節料理なのか、おばあ様が酢の物を鍋で作っていたせいか、物凄く酸っぱい臭いが家中に広がっていました。 酸っぱいだけじゃなくて、平たく言うと腐った何かの臭いがしていました。 妻はその臭いを嗅いでしまい、拒否反応を起こし、義父に電話してどうにかしてほしいレベルでした。 実際、おばあ様は換気扇が嫌いなようで僕が換気扇ガシガシ付けても順番に止められてしまいます。 理由は寒いとからしいですが、いや、この家そのものがもう寒いじゃん。それに窓開けてるじゃん。 そうか、つまりこれは...

2024年が終わろうとしています。

今年最後の記事になるかもしれないと思って書き始めたがけど、何かたいそうな記事が書けそうな気はしない。 2024年はドッと環境が変わる前準備みたいな1年だったと思う。 以前ちょっと記事にしたかもしれないけど、昇進したし、家買ったし、子供生まれるとこだし、2025年こそ怒涛の一年なりそうなのは間違いない。 前準備と書いたものの、じゃあ、自分が何かしっかり準備した感があるかと言われると、そうでもない感じなので、この記事を書いてて少し不安になった。 あー、でもよく考えると、地道に進めていった結果として、どーんと変わるってだけかと思うと腑に落ちる感じはあるかもな。 まずは、最近の話をしようかしらね。 妻の里帰り出産に付き添いで居候を続けて、早21日が経った。 さすがに一定の習慣が馴染み始めていて出来ること、出来ないこと、忘れちゃいけないことが出てきてます。 家事は掃除ができる。炊事と洗濯は聖域にて不可侵ということ。 僕がここにいる理由は、実家の家事を楽にするためではなく妻のそばにいて、いつでも安心して赤ちゃんを迎えて上げれるように環境を整え、サポートすること。 あとは、体調をいかに崩さずに過ごすかということ。 大事にしなくちゃいけないことの優先順位を間違えてはいけない。 だけど、今週僕は2回くらい消化不良を起こしている…ッ! 飯が…ッ!うまいぃ…ッ! でも、今日の午前中に同じく食べ過ぎて体調崩しているお義父さんを見たら、「あ、俺も気を付けよう。」って素直になりました。 妻は今か今かと生まれる時を待っている。僕も同じ気持ち。 でもこの子はきっと、来るべき時に元気いっぱいに生まれてきてくれると信じてる。 僕らの子は、産まれる前からエンターテイナーなのかもしれんなぁ!ガハハ! 次にここ数か月の話をしよう。 妊娠が分かってからというもの、私生活においては家のことと出産準備の記憶が濃い。 だって、僕のスマホのカメラには妻と妻のお腹の写真がほとんどを占めている。 時々、友達と遊んだ思い出と家の写真って感じで。 人生の節目が一気に来たと実感出来たという感じの一年だった。それを来年はすべて受け止めていかないとね。 仕事面においても、部下が0→2人に増えたし、仕事内容もだいぶ視座を高めざるを得ない状況になってきた。 実は、近々部下が1人異動になるし、雰囲気的に先輩か上司が異動になりそうな感じが...

妻の実家に14日いる藻類

 妻の里帰り出産のために、12月頭から在宅勤務に切り替えて早14日経った。あと7日間過ごしたら、いよいよ習慣が馴染んでくるはずなので、今回は今日までに感じたちょっとしたギャップシリーズを書いていこうと思う。 事前に言っておきたいが、これは決して批判してるわけでもなく、それが悪いと思っているわけでもない。あくまで感覚の違いを楽しんでいるという意味で書いていくので、変な解釈をしないでほしい。 ■フローリングも裸足 妻の実家はいわゆる「日本の実家」という感じのお家なのだけど、おばあ様が住んでいる母屋と義両親が住んでいる2階建ての離れがある。 母屋には一部畳の部屋があり、それ以外はフローリングであるのだが、ここではそのすべてにおいて裸足で生活している。 正確にはスリッパを使わないのだ。 一方、マリモの生家は海外なので、フローリングに対してスリッパを履く文化だった。 もちろん、日本に来てからは畳があるアパートに住んでいたのでスリッパは使っていないけど、今住んでいるアパートはすべてフローリングなので、スリッパを使用している。 最初は使わずに過ごしていたが、ついでに掃除もできるスリッパを購入してからは、床の冷たさを感じずに過ごせるのもあって、妻にも慣れてもらっていた。 それもあって、妻の実家に初めてお邪魔して泊まった際は違和感がないと言えば噓になる。 お盆の時は自分の汗が床につくことを申し訳なく思い、年始の時は冷たいフローリングを踏む時に尿意が刺激されていた。 それが、14日間住んだ今では、びっくりするくらい違和感がなくなっている。 ただ裸足で床生活すると、床の状態への関心が今までよりも高くなることに気づいた。 少しでも濡れているとすごく気になるし、足先までの感覚というのが鋭敏になっている気がする。 日本人は繊細な人種とはよく言うけれども、それって考えや心ではなく、物理だったんだな。 ただ、今は冬なので床の冷たさが気になる。妻に相談したら、ぬくぬくの靴下を買ってくれた。感謝。 ■キッチンは聖域 妻の実家とはいえ、人の実家に2か月近くも居候するのだから、家賃は少し渡させていただいたのだが、それでも家事を任せきるのは気が引けている。 我が家では掃除、洗濯、皿洗い等の家事はある程度やってきたつもりなので、何かお手伝いをさせていただけないかと考えていた。 それこそ、おばあ様側のキ...

ここ一週間の出来事を書きました。

 僕らはまだ新婚の部類に入る新米夫婦ではあるけれども、一人より二人で居る方が断然良いということははっきり言える。これは依存とかそういう次元の話ではなく、一人でいる、友達といる、両親といるという数ある選択肢が与えられた上で、確信ある選択の結果として言っている。 二人で居る方が良い。 あなたが居なければ生きていけない、というよりは、あなたが居た方が生きていることが素晴らしいものになる、という話である。 この一週間、1日も更新してこなかったこのブログだが、それなりの事情がある。 妻の里帰り出産で、妻の実家へ住み始めたからだ。ご実家の一室を間借りして環境に慣れたり、環境づくりを進めてきた。 インターネット環境はそれなりで、別に書こうと思えばいつでも書けたかもしれないが、やはり習慣が一気に変わる最初の7日間は慣れることに時間を費やしたい。 体調を崩すことを極端に嫌ったからというのも背景にある。 さて、じゃあ、この一週間具体的に何をしてきたかを書いていこうと思うが、大したことはしていない。 たった今気づいたけど、僕は左より右のShiftキーをよく使うみたいだ。 妻のノートPCの右Shiftキーは通常のキーと同じサイズなので、↑ボタンを押しがちになることで気づいた。 さて、初日から振り返っていこう。 やっと会える。その気持ちを溜めて、駅の改札前で妻を抱きしめた時にすべて開放された。 義母と顔を合わせるまでの間に目の潤いをお互い抑えながら、手をつないで車に乗った。 そこからは時間がゆったり過ぎつつも、あっという間に過ぎていった気がする。 初日は、間借りする部屋に入って家のルールを確認し、丸亀製麺で夕飯を頂いて部屋に帰ってお風呂入って就寝。 翌日からは、在宅勤務。ネット環境があまり強くない部屋にいるために、多少のストレスはあったが、1か月の仕事のためにレンタルWi-Fi借りるほどでもない。 ただ、今後実家で過ごすことも増えるので、中継機をメルカリで買ってある程度の環境は整備しておこうと思った。 最初の3日間は睡眠や体調が安定しなかったが、サーキュレーターやヒーター、加湿器を支給していただいたおかげで環境づくりは捗った。 ネットで温湿度計を買ってからは、数字を見ながら温度と湿度を調整出来て、非常に良い。 睡眠に関しては、床に敷布団2枚引いているものの、独特の硬さでベッド派なので...