スキップしてメイン コンテンツに移動

いつか笑い話に出来たら嬉しいこと

 年始に我が子が生まれて、無事育児休業に突入した僕。そこから2週間は初めてのことも多かったが、妻と子と幸せな時間をたくさん過ごせた本当に良い日々であった。親戚に祝われたり、久しぶりに会った友人に我が子を合わせることが出来たりとね。


しかし、良いことばかりが続くことってないんだな、と思ってしまうことが起きました。

今年3週間目に入った瞬間、僕の父が危篤状態にあると連絡が入りました。

姉から緊急入院した旨と共に明らかに心臓の鼓動が早まっていることに気づきました。

ただ僕は、妻子の傍に居たい。兄にも連絡して、兄と姉に任せようと思っていました。


もちろん、もしかしたら、死に目に会えないかもしれない。

その時、妻から「私は行ってってあげた方がいいと思う。この子はこれからがあるけど、お義父さんとの時間はもうないかもしれないんだよ。」と言われ、500kmの帰省を決意しました。

我が子はまだ1ヵ月健診が終わっていないため、外出することは出来ません。

親父に我が子を合わせることが出来ないかもしれない。せめて、テレビ電話だけでも。

お義父さんに新幹線が乗れる駅まで送ってもらうことになりました。

道中、「私達に出来ることは無事を祈ること、送り届けることだけだけど、気を付けて行って来てね。」と言ってくださり、非常に心強かったことを覚えています。


僕の父は先日94歳を迎え、昨年から腰より下が非常に弱っている状態でした。

1ヵ月前は意識ははっきりしていて、少し物忘れをするくらいで会話も出来ることは確認していました。

それが1ヵ月半経って、大腸からの多量出血により救急搬送される。

元々脱腸していることは知っていましたが、どうやらそれが悪さしていたようです。

人間は血液が身体から無くなっていくと生命活動に支障が出ます。父も例外ではないです。


新幹線に乗った僕は、これからやらなければいけないことを考えていました。

間に合わなかった時、間に合った時、火葬、葬儀、実家のこと…ぐちゃぐちゃでした。

搬送された病院は感染症対策もあり、予約制で面会となるため、その日中に帰れてもすぐには会えないことが途中でわかりました。

仕方ないですが、その前に色々と確認しないといけないこともあったため、まっすぐ実家に向かいました。

実家に着いた頃には兄も居ました。二人で最悪のケースについて話し合いました。

その後姉とも連絡を取りながら、翌日を迎えます。


翌日、面会。

高齢者の入院はせん妄状態になりやすいことは、以前父が入院した時に知っていました。

そして今回もそれは起こっており、私達を認識することが出来ないくらいの状態でした。

母が語り掛けると天上を見ながら、「私の妻はね…。」と母に紹介をしていました。

僕が「マリモだよ、わかる?」と聞くと、「私の3人の子供の内、マリモは次男です。3人の中で一番、優しい子です。」と紹介してくれました。

親父、人に紹介する時、そんな風に言ってくれるんだ、と何とか笑顔で返事しました。

その後、父は私達を認識しないまま、お茶が欲しいとか家に帰りたいとか言っていました。

看護婦に聞くと、せん妄が激しいのか、夕方以降は点滴を外して、ベッドから出ようとするそうです。

あまりに暴れるため、ナースステーションから見える位置にベッドが置かれていました。

兄は茫然として椅子に座っていました。

週に1回、30分のみという厳しいルールに従い、その日は病院を後にします。


翌日、医師から大腸の出血が一応止まったとの連絡が入り、峠を越えた旨、連絡がありました。しかし、安心することは出来ません。

高齢のため、手術による治療が出来ず、自然治癒による止血なので、再発の可能性は高いのです。そして、多量の出血により、心筋が弱り、もう自力で生活することは困難だと医師が判断していました。

ケアマネジャーを呼んで、すぐに介護区分を上げることを指示されました。

つまり、100%要介護になる、ということです。

そうなると母のみでは介護が不可であるため、施設等についてケアマネジャーと僕ら家族とで話し合いを行うことが決まりました。

来週あたり、その話をする予定です。


無事に峠を越えられたとしても問題は介護のみではありませんでした。

母のこれからの生活、父の経営する会社の処理がまだ残っていました。

育児休業中の僕は、峠を越えた時点ですぐに妻子のもとへ帰りたかったですが、これを放置してしまうと将来設計が崩れ、実家と共倒れになってしまうリスクが高いため、残って対応する必要がありました。


この時、兄と姉に対しては「もっと動いてくれよ…!」と思ってしまったのですが、今冷静になって考えてみると、全員必死だったと思います。

結論から言えば、父の会社についてはソフトランディング出来るように、労務士や税理士と相談をさせてもらい、取引先に連絡して従業員への対応を整理出来たので、ひとまず一段落は出来たかなという感じです。

母の今後については、仕事をしてもらうことや一人暮らしの難易度について確認中です。

基本的に僕が会社のことをやって、母のことは兄に、という数日でした。

正直、逆だろって思っていましたが、まぁ、結果的に適材適所だったかもしれません。


これで来週末ぐらいには妻子のもとへ帰れる算段が経ったため、今こうして記事を書くことが出来ています。


この6日間、育児で大変な中、僕の話を真摯に聞いてくれた妻に感謝しかありません。

テレビ電話で我が子の様子を見せてくれたり、その日何があったか教えてくれたり。

その時間だけは幸せでした。大変なのに本当にありがとう。

義両親にも迷惑をかけてしまったと思っていますが、今は頼りにさせてもらっています。

今後も実家のことをしっかりと対応して、我が子とちゃんと向き合うことで恩返し出来ればと思います。

そして何より、妻と子を幸せにすることですね。


今回のことを機に、介護や相続、会社経営に関する知識が少し増えました。

元々、調べていたとはいえ、もう少し事前準備は出来ていたなと反省しています。

学びとしては、慌てずにその時その時で出来る限りのことをやる、というのが今回のケースにおいてはやはり大事であることがわかりました。

もともと何回か実家に帰ってはメンタリズムを考えていましたが、こういう時こそ必要な姿勢でしたね。

他にも、外部機関にもっと頼った方がいいとか、自分に素直でいることも必要だとか、学びになることは多かったと思います。


父はたぶん長くはないかもしれません。母もこれから大変です。

我が家の家計にも影響があるかもしれない。ストレスになるかもしれない。

事前に出来ることはやりつつも、その時に出来ることをコツコツとやる。

まぁ、それが一番難しいなんてことも、よくわかっているんですけどね。


それでもいつか、今回のことを笑い話に出来たらと思っています。

いや、出来たらというか、笑い話にしていきたいと、そう思います。

ももも、マリモ7号でした。

コメント

このブログの人気の投稿

2025年は愛する我が子の誕生から始まった

 最後の記事から2週間近く経ちましたが、誇大表現ではなく、人生が変わる2週間でした。 実際に起きたことは簡潔に書きつつ、僕の心情をメインに書いていこうかと思います。 そういうのが苦手な人は見ないのではなく、サラッと読んでください。← 僕も育児系の動画観ながら、気軽に書いているのでそれぐらいの気持ちで是非読んでね。 さて、2024年年末のことから話しましょう。 妻の実家に里帰り出産で2か月過ごしているのですが、年末年始は親戚が集まります。 当然、義兄弟皆様帰ってくるわけです。そこで事件が起きました。 妻の兄が里帰りしたその日、コロナ+インフルに罹ってしまいました。 車から降りる前に温度計を持ってきてくれと言った義兄は偉すぎました。 高温を知らされた私たち夫婦は、即時滞在している部屋に逃げ込みました。 以降、年末年始の間は義両親と義兄と切り離された生活をせざるを得なくなりました。 確かに困りましたが、一番困ったのは義兄です。辛い年末年始になっちゃいました。 元気になって本当に良かった。 絶対に、絶対に立ち会い出産をしたい私たちは、徹底的に隔離させてもらいました。 ただ、ご飯だけは義母に作ってもらっていたので、おぼん等の受け渡しで頂いてました。 この義兄コロナインフル事件により、副次的に発生した第二の事件が発生します。 おばあ様のいる母屋、妻が嫌すぎる事件です。 僕らの居室は二人で赤ちゃんのために過ごしやすくカスタマイズしていたので問題ないのですが、それ以外は違います。 母屋の中は外気温とほぼ変わらないし、妻的には苦手な印象を持っていて、トイレ以外は必要に迫られない限り行かないです。 トイレについてもお掃除シートを買うことを提案して行きやすくしたりしたくらいです。 そんな中、事は起きました。 年末年始のお節料理なのか、おばあ様が酢の物を鍋で作っていたせいか、物凄く酸っぱい臭いが家中に広がっていました。 酸っぱいだけじゃなくて、平たく言うと腐った何かの臭いがしていました。 妻はその臭いを嗅いでしまい、拒否反応を起こし、義父に電話してどうにかしてほしいレベルでした。 実際、おばあ様は換気扇が嫌いなようで僕が換気扇ガシガシ付けても順番に止められてしまいます。 理由は寒いとからしいですが、いや、この家そのものがもう寒いじゃん。それに窓開けてるじゃん。 そうか、つまりこれは...

父になって12日目の憂い

僕たちの子供はとにかく可愛い。とにかくすごく可愛い。僕の愛情、懐の広さを無限にしないと足りないくらいとか言いたい。2025年に入ってからは幸せな毎日である。 今日はその中で起きたちょっとしたエピソードを語ろうと思う。 沐浴を担当とさせてもらってから、5日目。 初日と比べたら、個人的には数段も上手くなったと思いたい。 この時、ついに我が子が泣かずに、気持ち良さそうな顔をするようになった。 本当に嬉しくて仕方がなかったが、油断すると子に何かあっては困るので、真剣に洗っていた。 いや、今思えば油断してたのかもしれない…。 背中を洗った後、それは起きた。 我が子が突然、見たことないくらい激しいモロー反射を起こした。 両手両足をバタバタさせて泣いている。 一体何が起きたのか。 ここで焦って手を離すわけには行かない。 何とか子を落ち着かせ、しっかり洗ってから、タオルに包んで妻に任せた。 結局何が起きたかは分からないが、僕はこのことが少しトラウマになりそうだった。 些細なことなのかもしれない。 だけど、これで子が沐浴を苦手になったり、水が怖くなったり、何か病気になってしまったりしていないだろうか。 致命的な障害に繋がってしまわないだろうか。 そんな心配が脳内を駆け巡った。 親戚が集まっている中、この不安を表に出すわけにはいかない、と何となく思っていた。 するとふとした時間に、妻と子、3人だけの部屋に休憩することが出来た。 愛おしそうに子を抱く妻を見ながら、ついに僕は泣くのを止められなかった。 「僕はこの子にどんなに嫌われてもいいから、僕のせいでこの子に何か良くないことが起きてしまうのは本当にたまらない…。」 と、妻にこぼした。 妻は優しく受け止めてくれたので落ち着いたし、今日もしっかり沐浴を行った。 僕ら夫婦は親になってまだ12日しか経っていない。 まだまだ初心者なのはわかっているし、最初から上手く出来ないのも理解できる。 知らないことも多い。日々勉強である。 妻と比べてしまうと、泣く程頑張ってるわけではないとも思う。 でも、自分が思っていた以上に必死だったのかもしれないと、気付かされた出来事だったかもしれないと、今なら思える。 これだけで終われば良かった。 忘れてはいけない。 藻生は子育てだけではない、と。 兄から姉から、両親に関する連絡が同日にドバドバと届いた。 少し前に新築...