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2025年は愛する我が子の誕生から始まった

 最後の記事から2週間近く経ちましたが、誇大表現ではなく、人生が変わる2週間でした。

実際に起きたことは簡潔に書きつつ、僕の心情をメインに書いていこうかと思います。

そういうのが苦手な人は見ないのではなく、サラッと読んでください。←

僕も育児系の動画観ながら、気軽に書いているのでそれぐらいの気持ちで是非読んでね。


さて、2024年年末のことから話しましょう。

妻の実家に里帰り出産で2か月過ごしているのですが、年末年始は親戚が集まります。

当然、義兄弟皆様帰ってくるわけです。そこで事件が起きました。

妻の兄が里帰りしたその日、コロナ+インフルに罹ってしまいました。

車から降りる前に温度計を持ってきてくれと言った義兄は偉すぎました。

高温を知らされた私たち夫婦は、即時滞在している部屋に逃げ込みました。

以降、年末年始の間は義両親と義兄と切り離された生活をせざるを得なくなりました。

確かに困りましたが、一番困ったのは義兄です。辛い年末年始になっちゃいました。

元気になって本当に良かった。

絶対に、絶対に立ち会い出産をしたい私たちは、徹底的に隔離させてもらいました。

ただ、ご飯だけは義母に作ってもらっていたので、おぼん等の受け渡しで頂いてました。


この義兄コロナインフル事件により、副次的に発生した第二の事件が発生します。

おばあ様のいる母屋、妻が嫌すぎる事件です。

僕らの居室は二人で赤ちゃんのために過ごしやすくカスタマイズしていたので問題ないのですが、それ以外は違います。

母屋の中は外気温とほぼ変わらないし、妻的には苦手な印象を持っていて、トイレ以外は必要に迫られない限り行かないです。

トイレについてもお掃除シートを買うことを提案して行きやすくしたりしたくらいです。

そんな中、事は起きました。

年末年始のお節料理なのか、おばあ様が酢の物を鍋で作っていたせいか、物凄く酸っぱい臭いが家中に広がっていました。

酸っぱいだけじゃなくて、平たく言うと腐った何かの臭いがしていました。

妻はその臭いを嗅いでしまい、拒否反応を起こし、義父に電話してどうにかしてほしいレベルでした。

実際、おばあ様は換気扇が嫌いなようで僕が換気扇ガシガシ付けても順番に止められてしまいます。

理由は寒いとからしいですが、いや、この家そのものがもう寒いじゃん。それに窓開けてるじゃん。

そうか、つまりこれは好みか。許せねぇよなぁ…。←

書いている今でも、キッチンだけはその臭いがまだ残っています。本当に、酢の物なのでしょうか。

いつか、いつか必ず、妻の家族にもはっきり言える夫でありたいとこの時強く思いました。


そんな感じで生まれる直前になり、ある種の極限状態に陥った私たちでした。

そんな中、子が産まれるタイミングが掴めないためにプチストレスを感じる妻がいました。

予定日に近づくにつれて、どうしても気持ち的にそわそわしてしまいます。

早く生まれてほしいけど、元気にも生まれてきてほしい。

今の医療では生産期以降であれば、割と日付をコントロールすることが出来るようですが、妻は(僕も)自然に生まれることを望んでいたこともあり、悩ましかったです。

僕に出来ることは寄り添うこと…本当にもどかしかったです。

これは自分勝手な気持ちではありますが、僕が妻にしてあげられることがないんじゃないかと少し落ち込んでいました。

僕が出来ることは出来るだけすべてやってあげたかった。せっかく傍にいるのだから。


そして、元日。

早朝6時頃に妻に起こしてもらった僕は、「定期的に陣痛起きているかも。」と聞き、飛び起きました。

感覚が短く、お腹が張って、恥骨や背中が痛い様子でした。

すぐに産院に電話したところ、「来てください。」と言われたので産院へ車で行きました。

義実家では、義両親の車を遠慮なく使ってよいと言ってくれているのですっごく助かりました。

産院に着いて早々、助産師さんに連れていかれた妻。

待合スペースへ待つことを指示された僕。

「まだ陣痛が少し弱いので、旦那さんは帰ってください。」と言われました。

事前に準備してくれてた陣痛バッグと入院バッグを置いて、とぼとぼ帰りました。

そわそわが止まらない僕は、元日に来るという義姉夫婦を迎え入れるための準備を手伝いました。

妻からの連絡を待つしかなかったですが、産院の前で待ってやろうかと思ったくらいです。

そして、14時頃、妻から連絡が来ました。

気持ちは急いで向かっていました。本陣痛が来たんだ、と妻を心配していました。

着いて案内されたのは分娩室(落ち着いた音と光で包まれてた)でした。

分娩ベッドでうずくまって痛そうにしている妻がそこにいました。

助産師さんにテニスボールで抑えるところと腰を抑えるところを指示された僕は、全身全霊で抑えました。

妻の呼吸に合わせて、ひたすら必死にテニスボールが歪むくらい抑えていました。

僕はもう涙が出そうでした。

妻が耐えている痛みを代わってあげられない。

子がお腹の中で耐えている痛みをわかってもあげられない。

僕は無力だ。妻の痛みを本当に緩和出来ているのか。不安でいっぱいでした。

だけど、妻は必死でした。とっても格好良かったです。本当に格好良かった。

僕はあの姿を一生忘れないと思います。

愛する我が子と外の世界で会うために、妻は痛みと真摯に向き合い、呼吸で耐え、全身で応えてました。

生まれてくる子に必ず伝えたいと思います。お母さんがどれだけ凄かったかを。


産道の開きが全開になってきた頃、助産師が3人部屋に入ってきました。

妻はもう疲労困憊でした。これ以上もう力が出ないんじゃないかと心配してました。

だけど、妻はただ静かに呼吸を続け、声を出すと力が入らなくなることを知っていたのです。

そして、必死にいきみ、呼吸、いきみ、呼吸を続けてくれていました。

その時の僕は、妻の首を支え、声をかけることしかできませんでした。

子の頭が出始めた頃、勇気を出して「僕も見ていいですか。」と声をかけ、妻と助産師さんに許可をもらいました。

すると我が子の髪の毛が出ているのが見えるではありませんか。

妻がいきむと、我が子のおでこの上らへんが見えます。もう少し、もう少しだよ!


そして、2025年元日、我が子が生まれました。元気な泣き声と共に。


僕は涙目になって「ありがとう。凄いよ、本当にありがとう。」と気づいたら言ってました。

生まれてすぐの我が子と妻、3人で写真撮影をした後、子と僕は別室へ。

妻は産後の処置のため、分娩室に残りました。


別室では我が子の五体満足の確認等を行い、体重身長を測って、チェックを行ってました。

隣の分娩室では、出産まで叫ばなかった妻が阿鼻叫喚していました。


そこから夜の23時過ぎまで親戚にテレビ電話をするなどして家族3人で過ごし、僕は一足先に帰りました。


翌日は夢見心地でした。70枚以上撮った我が子の写真を眺めて実感していきます。

三が日は妻の実家で行われる親戚の集まりに行くことになっています。

本当なら妻もいましたが、入院しているので僕一人と義姉夫婦で向かいました。

親戚の皆様には出産を祝ってもらい、テレビ電話で妻と子を紹介して回りました。

こういう集まりで一人で行って楽しめるようになった自分を褒めたいですね。

しかし、本心はそんなことより早く面会に行きたいという気持ちがありました。

時間が来て、僕は直ぐに面会に向かいました。


その日から今日まで、毎日3時間しかない面会時間をフルに我が子と妻との時間に使っています。

朝昼晩、義両親と僕の3人で食事することが気まずいかも、と心配していましたが、楽しくご飯を食べれていたことに自分でも驚いています。

結局は向き合い方なのかなって思います。

食事中は妻とその兄弟の幼少期の話や子育てについて、思い出話を聞かせてもらいました。

言ってしまえば他人の僕に、こんな親身になってくれる義両親に感謝しかありません。

はっきり言って自分の両親と同じくらい大好きだと思っています。


明日は妻と我が子が退院します。家族3人でまずは最初の1か月を乗り越えないと。

そのための準備をしてきました。義両親も協力してくれています。

僕に出来ること、実はそんなにないかもしれないし、役立たずかもしれない。

けどね、愛する妻と愛しい我が子を幸せにしたいという気持ちだけは誰にも負けないよ。

命がけで産んでくれてありがとう。

この世に生まれてくれてありがとう。

受け入れてくれてありがとう。

楽しみにしてくれてありがとう。

全ての人に多くの感謝を伝えたいです。そういう風に思えた年明けでした。


2025年こそ、激動の1年になりそうです。

ですが、僕には妻と我が子がいます。家族3人で絶対に乗り越えられると確信しています。

間違いなく、これまでの生き方ではいられないかもしれない。

でもそれが良いか悪いかっていうのは、やってみないとわからないじゃない。

ただ少なからず、妻と我が子、僕自身が幸せでいられるような素敵な選択をしていきたいね。


ここまで読んでくれてありがとう。

ももも、マリモ7号でした。

コメント

  1. マリモさんがいなかったら産めなかったです。
    慣れない環境での共同生活、在宅ワーク、お産中のサポート、入院中の赤ちゃんのお世話。
    いつもありがとう☺️
    これから3人で頑張ろうね!

    返信削除

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