二律背反~♪今~すぐ♪Touch me~♪運命ならばつながせて♪という歌詞を初めて聞いたのは2008年、今から18年前のことである。この頃に生まれた人は成人になっているのか。すごいことだな。 このあと、君は誰とキスをする、わたしそれともあの娘とつながっていくのだけど、これって二律背反というよりはジレンマなのではないかな…どうだろ。 さて、僕は会社員なわけですが、いわゆる仕事と私生活またはそのどちらかにおいて、二律背反とジレンマを感じることが多い気がしている。 例えば、AさんとBさんで同じルールに対して違う解釈をしているが、どちらもそのルールが制定の背景となった目的に則しており、どちらも否定しにくく、ひどいことにどちらかを正とするともう一方が否定されてしまうケースがあったとしよう。 こういう場合は、二律背反と言ってもいい気がしている。 同一事象に対して、原理や原則に矛盾が生じ、理論的、論理的、科学的に成立しているが、同時には成り立たないこと、これが二律背反ではないだろうか。 一方で、例えば、AさんとBさんで食い違った意見を聞いたときに、「マリモはどっちの味方なの!?」と聞かれた際に、どっちかを答えると確実にもう片方から反感を喰らって、気まずい感じになるので、悩むケースがあったとしよう。 こういう場合は、ジレンマと言ってもいい気がしている。 自分を主語として、2つのことに感情的、損得が生じて、非常に選びにくい状況ではあるが、もしかしたら折衷案、妥協点があるかもしれないが難しいことをジレンマと言ってはどうだろうか。 僕は別に広辞苑に歯向かおうってんじゃない。 普段生活している中で、「ああ、これって二律背反かジレンマかな。」って思ったから、ちょっと記事にしてみただけだ。 さて、これを読んでくれた皆はどうだろう。自分の生活に当てはめて、似たようなことは起きなかっただろうか。 この話で得た僕の気づきだが… 二律背反が生じた時は自分の感性や感情で選択し、ジレンマが生じたときは徹底的に理論的な選択をした方が実はうまくいってるんじゃないか、ということだ。 上の例で言うと、AさんとBさんで同じルールの解釈が違くて、どっちも目的を果たせるのであれば、守りやすくて、シンプルにストレスない守り方の方を選ぶ。 AさんとBさんの意見が食い違って、どちらの味方かと聞かれた時は、双方の意見...
2025年4月から思い立った時にメモをしているノートがある。そこに書いてあることをブログに書いていくことで、その時を振り返りながら、現在の自分をアップデートしていく…そんなことが出来たら面白いかもしれない。 まずは、書いたままを載せて、それを見ながら、今見て思うことを綴ってみようじゃないか。 妻が赤ちゃんになって 悪者が連れ去っていくのを 守る夢みてた そうなの!?と思いつつ、翌朝妻に話したことを覚えている。 自分には今も家族をどうやったら守れるか、自身のある回答を持ち得ていない。 ただ言えるのは、本当に毎日を安全に、笑顔で過ごしてもらうのに足りないものがあれば、そこに遠慮や躊躇はしないようにしなきゃな、とはいつも思っている。 ちなみに、最近見たので似たようなやつだと…会社で逆ギレしたら、物凄い勢いで先輩にボコボコにされる夢見たな…全然違ったわ。 指摘ばかりが良いわけではない 我慢と抑止、抑圧は違う 抑圧≠抑制(感情あり) 抑圧:意識しない、表面に出さない → 成熟した防衛 これは病んでるな。多分、子育て絡みだと思う。ていうか、成熟した防衛ってなんだ。 意味深ワード過ぎて、どういう意味をもって書いたんだこれ。 メンタル逝きそうになった時は、その時の気持ちをメモにした方が良いって言うのは本当にそうかもしれない。 何せ今は、こんなこと考えもしないからな…乗り越えた僕ら、えらいぞ。 忘却とは、忘れ去ること → 何かのアニメで人間にもたらされた○○みたいに言ってた? いや、どうだろ、覚えていないな。 多分言いたいのは、人間が出来るメンタル保護スキルのひとつだよねってことだと思う。 提案すら話題に出来ない それを許容するのが器か 誤った優しさは続かない、続くわけない 結局、自分が大事になる瞬間はある 比べた時に簡単に崩壊するのだ、簡単に 大前提、大原則、生きる意味に立ち帰れ 悩んだ末に何もわからなくても良い おい、マジでどうしたんだ。多分、これも子育て関連だな。 目的意識を持って、感情をコントロールしようとした結果な気がする。 何か言いたかったんだろうけど、色々考え抜いて、ノートに発散したんじゃなかろうか…。 おかげさまで、今は元気に生きてるぞ。この時の僕に感謝。 ブログにはもっと自分の思った極端な解釈を書きたい ⇔別にそこまでこだわってないのに勘違いされたら...