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2024年が終わろうとしています。

今年最後の記事になるかもしれないと思って書き始めたがけど、何かたいそうな記事が書けそうな気はしない。 2024年はドッと環境が変わる前準備みたいな1年だったと思う。 以前ちょっと記事にしたかもしれないけど、昇進したし、家買ったし、子供生まれるとこだし、2025年こそ怒涛の一年なりそうなのは間違いない。 前準備と書いたものの、じゃあ、自分が何かしっかり準備した感があるかと言われると、そうでもない感じなので、この記事を書いてて少し不安になった。 あー、でもよく考えると、地道に進めていった結果として、どーんと変わるってだけかと思うと腑に落ちる感じはあるかもな。 まずは、最近の話をしようかしらね。 妻の里帰り出産に付き添いで居候を続けて、早21日が経った。 さすがに一定の習慣が馴染み始めていて出来ること、出来ないこと、忘れちゃいけないことが出てきてます。 家事は掃除ができる。炊事と洗濯は聖域にて不可侵ということ。 僕がここにいる理由は、実家の家事を楽にするためではなく妻のそばにいて、いつでも安心して赤ちゃんを迎えて上げれるように環境を整え、サポートすること。 あとは、体調をいかに崩さずに過ごすかということ。 大事にしなくちゃいけないことの優先順位を間違えてはいけない。 だけど、今週僕は2回くらい消化不良を起こしている…ッ! 飯が…ッ!うまいぃ…ッ! でも、今日の午前中に同じく食べ過ぎて体調崩しているお義父さんを見たら、「あ、俺も気を付けよう。」って素直になりました。 妻は今か今かと生まれる時を待っている。僕も同じ気持ち。 でもこの子はきっと、来るべき時に元気いっぱいに生まれてきてくれると信じてる。 僕らの子は、産まれる前からエンターテイナーなのかもしれんなぁ!ガハハ! 次にここ数か月の話をしよう。 妊娠が分かってからというもの、私生活においては家のことと出産準備の記憶が濃い。 だって、僕のスマホのカメラには妻と妻のお腹の写真がほとんどを占めている。 時々、友達と遊んだ思い出と家の写真って感じで。 人生の節目が一気に来たと実感出来たという感じの一年だった。それを来年はすべて受け止めていかないとね。 仕事面においても、部下が0→2人に増えたし、仕事内容もだいぶ視座を高めざるを得ない状況になってきた。 実は、近々部下が1人異動になるし、雰囲気的に先輩か上司が異動になりそうな感じが...

妻の実家に14日いる藻類

 妻の里帰り出産のために、12月頭から在宅勤務に切り替えて早14日経った。あと7日間過ごしたら、いよいよ習慣が馴染んでくるはずなので、今回は今日までに感じたちょっとしたギャップシリーズを書いていこうと思う。 事前に言っておきたいが、これは決して批判してるわけでもなく、それが悪いと思っているわけでもない。あくまで感覚の違いを楽しんでいるという意味で書いていくので、変な解釈をしないでほしい。 ■フローリングも裸足 妻の実家はいわゆる「日本の実家」という感じのお家なのだけど、おばあ様が住んでいる母屋と義両親が住んでいる2階建ての離れがある。 母屋には一部畳の部屋があり、それ以外はフローリングであるのだが、ここではそのすべてにおいて裸足で生活している。 正確にはスリッパを使わないのだ。 一方、マリモの生家は海外なので、フローリングに対してスリッパを履く文化だった。 もちろん、日本に来てからは畳があるアパートに住んでいたのでスリッパは使っていないけど、今住んでいるアパートはすべてフローリングなので、スリッパを使用している。 最初は使わずに過ごしていたが、ついでに掃除もできるスリッパを購入してからは、床の冷たさを感じずに過ごせるのもあって、妻にも慣れてもらっていた。 それもあって、妻の実家に初めてお邪魔して泊まった際は違和感がないと言えば噓になる。 お盆の時は自分の汗が床につくことを申し訳なく思い、年始の時は冷たいフローリングを踏む時に尿意が刺激されていた。 それが、14日間住んだ今では、びっくりするくらい違和感がなくなっている。 ただ裸足で床生活すると、床の状態への関心が今までよりも高くなることに気づいた。 少しでも濡れているとすごく気になるし、足先までの感覚というのが鋭敏になっている気がする。 日本人は繊細な人種とはよく言うけれども、それって考えや心ではなく、物理だったんだな。 ただ、今は冬なので床の冷たさが気になる。妻に相談したら、ぬくぬくの靴下を買ってくれた。感謝。 ■キッチンは聖域 妻の実家とはいえ、人の実家に2か月近くも居候するのだから、家賃は少し渡させていただいたのだが、それでも家事を任せきるのは気が引けている。 我が家では掃除、洗濯、皿洗い等の家事はある程度やってきたつもりなので、何かお手伝いをさせていただけないかと考えていた。 それこそ、おばあ様側のキ...

ここ一週間の出来事を書きました。

 僕らはまだ新婚の部類に入る新米夫婦ではあるけれども、一人より二人で居る方が断然良いということははっきり言える。これは依存とかそういう次元の話ではなく、一人でいる、友達といる、両親といるという数ある選択肢が与えられた上で、確信ある選択の結果として言っている。 二人で居る方が良い。 あなたが居なければ生きていけない、というよりは、あなたが居た方が生きていることが素晴らしいものになる、という話である。 この一週間、1日も更新してこなかったこのブログだが、それなりの事情がある。 妻の里帰り出産で、妻の実家へ住み始めたからだ。ご実家の一室を間借りして環境に慣れたり、環境づくりを進めてきた。 インターネット環境はそれなりで、別に書こうと思えばいつでも書けたかもしれないが、やはり習慣が一気に変わる最初の7日間は慣れることに時間を費やしたい。 体調を崩すことを極端に嫌ったからというのも背景にある。 さて、じゃあ、この一週間具体的に何をしてきたかを書いていこうと思うが、大したことはしていない。 たった今気づいたけど、僕は左より右のShiftキーをよく使うみたいだ。 妻のノートPCの右Shiftキーは通常のキーと同じサイズなので、↑ボタンを押しがちになることで気づいた。 さて、初日から振り返っていこう。 やっと会える。その気持ちを溜めて、駅の改札前で妻を抱きしめた時にすべて開放された。 義母と顔を合わせるまでの間に目の潤いをお互い抑えながら、手をつないで車に乗った。 そこからは時間がゆったり過ぎつつも、あっという間に過ぎていった気がする。 初日は、間借りする部屋に入って家のルールを確認し、丸亀製麺で夕飯を頂いて部屋に帰ってお風呂入って就寝。 翌日からは、在宅勤務。ネット環境があまり強くない部屋にいるために、多少のストレスはあったが、1か月の仕事のためにレンタルWi-Fi借りるほどでもない。 ただ、今後実家で過ごすことも増えるので、中継機をメルカリで買ってある程度の環境は整備しておこうと思った。 最初の3日間は睡眠や体調が安定しなかったが、サーキュレーターやヒーター、加湿器を支給していただいたおかげで環境づくりは捗った。 ネットで温湿度計を買ってからは、数字を見ながら温度と湿度を調整出来て、非常に良い。 睡眠に関しては、床に敷布団2枚引いているものの、独特の硬さでベッド派なので...

もしかして、ナマケモノと同じ一日?

睡眠スコアというものがある。妻と離れてからの2週間、まったく安定しない。 睡眠の質が低下してるのだ。主な原因は2つある。 睡眠時間が短いこと、睡眠中のストレス値(心拍)が高いことにある。 昨日はその余波を受けたのか…まずは5:00くらいに起床してしまった。 ただ、昨日に限っては都合が良かった。 今日から妻の元へようやく行けるので、数カ月この家を空けるに際して、事前に済ませておくことがあるからだ。 この家今年最後のシャワーを浴びて、軽く掃除してから水のうで排水溝を蓋した。 浴槽の方は付属の蓋をする。 次にキッチン。作り置きや冷蔵庫の中を計画的に平らげてきたので最後の洗い物を済ませ、排水溝を掃除して水のうで蓋した。 必要なくなった電源類はコンセントを引き抜いたり、養生をした。 最後の洗濯を済ませ、排水口を雑巾でくるんで蓋をする。 洗濯機を動かすのが一番腰にくるね。 そしてトイレ掃除。今日出発前にラップして水の蒸発を防ごうと思う。 この辺が一通り終わってから一眠りした。 起きたら13:30だった。約5時間程爆睡してたみたい。 起きてすぐ防犯グッズを買いに行き、マイホームの進捗を確認しながら業者さんにお茶を渡して、車のガソリンを満タンにした。 お出かけは小一時間位で済んだ。 帰宅して一息ついたら…また爆睡した。 起きたら夕方になっていた。 寝すぎてだるいのか、気力が出なかった。 思えば朝からそうだったかもしれない。 妻に電話して元気を分けてもらいつつ、外食をしに行く。 ガストで黒酢和膳みたいなのを頂き、デザートにパッッッフェを頼んだ。 パッッッフェを頼めば元気が出ると思ったからね。 全て美味しかったが、ファミレスには家族連れしか来ない。 少しだけ寂しさを感じた。 帰宅してからは今日持っていく荷物の最終確認をしながら、妻と電話を繋げる。 今日ようやく会えるねと喜びを分かち合いながら、ベッドに入り、おやすみした瞬間に寝落ちた。 数時間後なのに待ち遠し過ぎるね。   今日はしっかり戸締まり、水回り、電気を確認して行こうと思っている。 ももも、マリモ7号でした。

今年最後の出勤日(ただし、現場に限る)

来週から妻の出産に立ち会うために、妻の実家で在宅勤務することになっている。故に昨日が部署に出社する最終出勤日だ。 ただ特別なことはなかった。 部下が1人、1月から異動になるのだがその正式な辞令が下った日ではあった。 周囲は少しだけざわついた気もするが、ざわつくかもと期待してたのもあるかもしれない。 というのも、僕のチームは僕含めて3名体制になっていて、僕が育児休業、部1人は本社へ異動となると年明けから残りの1人しかいないことになるからだ。 その子は別のチームにいたとき、自律神経の乱れが発生して休みがちだったことあり、同じチームのメンバーに大分ヘイトを溜めてしまっていた。 そんなこともあり、居づらさが加速、最終的には2ヶ月以上のお休みとなった背景がある。 その子が辞めるかもと思った時、上司はまだやれる場所があると提案してきたのが僕のチームだった。 恐らくだが、同じ部署内で彼と仕事できるのは僕以外居ないと思うので、引き受けることにしたのだが、成長スピードはどちらかと言えばゆっくりな方だ。 正直コミュニケーションにも難があり、彼の考え方や習慣を理解することに時間をかけている。 そんな彼を最低2カ月は1人にすることになるため、僕のチームにおいては戦力ダウンと評されてしまった。 しかし、先輩、上司、同僚たちよ。 あなたたちにもこんな時期はあったのだ。 程度は違えど、地頭が違えど、能力も違えど、あったはずなのだ。 今の仕事効率の低下を、将来への投資と見てくれまいか。 フォローしてやってくれ〜。 と思いつつも、逆の立場ならどうだろうとうだうだ考えていた。 そんな彼にいくつかアドバイスをして、潔く早退して帰った。← なぜなら、昨日の夜にはインドカレー食事会があったからだ。 楽しみにしていた。 昨日飲みに行った移動する部下もいる。 この地に他にも美味しいものがあるぞよ!と最後に伝えたかったのだ。 食べ終わった後、仕事場の将来を憂う会話が始まった。 そこで衝撃の新情報を得て、来年は波乱に満ちそうだと不安になった。 しかし、僕には守るべき家族がいる。 嬉しいことにもう一人、そんな大切が増えるのだ。 それに比べたら大した変化ではない、と思う。 その後、よく遊んでた先輩のカラオケに行った。 2週連続になる。 まぁ、今くらいしか1人で過ごしてる時間もないから許してもらおうと思う。 ただ、帰って...

よくある飲み会はもはやレアになった話

会社員やってて昇進した人って、ロールモデルの一人になると思うのだけど、経験の塊なので参考にする分には色々な人と話ししてもいいと思う。 昨日は部下の一人が本社に異動してしまうので、上司が僕と3人で飲もうと提案してきたこともあり、プチ飲み会に行ってきた。 正直、何か思うところあって飲みたかったなら、上司自ら開催してほしかったのだが、部下に幹事させておくのが彼の中の経験則であり、習慣だったのだと思う。 僕も偉くなったらやろうかな。← いやいや、自分でやれる大人にならねば。 さて、せっかく任されたので最近食べられてない好きなお店を予約した。 この地に来てから通った好きな町中華3本の指に入る中華料理店。 餃子も大きくて肉々しく、野菜炒めが無限に食べれそうなくらい旨い。 上司が来る前に部下と2人でメニューを決めて先に頼んだ。 とりあえず、餃子2枚、唐揚げ、麻婆豆腐にした。 上司が来てから、お酒を頼み、何気ない会話で場を温めていった。 今日はわざわざ飲みに行くのであれば、上司から何か助言や格言みたいなものを言われるかと思えば、本当に何気ない飲み会であった。 部署の愚痴、未来への憂い、昔は〜話とよくある飲み会であった。 この上ない丁度いい感じ。 後半はハイボールに切り替えて、ご当地メンチ、野菜炒め、炒飯を頂いた。 今年になって、公に解禁されたので飲み会を開いてみたりするのだが、もう参加する社員も少なくなってしまった。 やれ意味がないだ、時間の金の無駄だということだろうか。 いいや、自分の時間とお金の使い道を有効にしたいのだろう。 加えて、今の人間関係を“仕事以外で”良好にすることに意味がないと感じているのだと勝手に解釈している。 彼ら飲み会不参加組にとっては意味ないのだ。仕方がない。 僕はどちらかと言うと、飲み会好きではある組だったので残念で仕方ない。 こういう場で聞けるちょっとした本音とか素性とかを今後の仕事や人間関係に生かせたからこそ、そう思う。 昨日の飲み会も、上司の考え方を知るいい機会にもなったし、異動する部下と飲める数少ない機会でもあった。 今ではレア過ぎてありがたいくらい何気ない飲み会だったのだ。 飲む量も適度で、ほんの少しだけ酔いを感じられるくらい。 楽しかった。上司に感謝しよう。 帰宅後はこの家を後にするための下準備をしながら、妻と電話で昨日あったことを話した。 お...

帰り道の記憶がなくなってることないか

 有給休暇はなるべく有意義なものにしたいのが会社員としては自然な感情だと思う。僕としては妻や家族との時間を過ごせるのが一番いいし、少なくとも前向きな気持ちになれることに使いたい。 しかし、昨日はどうだ。お休みを取ったのは、残念ながら実家に帰る必要が生じたからだった。 高齢である我が父の会社経営について、県の相談所に言って、相談をしなければいけないからだ。 父の会社は従業員が3人の小さな運送会社で、従業員の平均年齢は一般的な企業の定年を超えている高齢企業だ。 相談所には父と僕と姉の3人で向かった。普段、両親の世話をしている姉が一人では不安であることと、僕自身も慎重に確認しておく必要があると思ったからだ。 着いて早々、名刺交換を行い、必要な情報交換をした。 幸か不幸か、7割くらいは僕が想定していた結果となりつつも、今後のアクションが実質1つに絞られてしまったことがわかった。 ああ、父よ、ちゃんとしないと損しかしないんだぞ。 そんなことを心の中でつぶやきながら、会社員として10年は働いてきてある程度きちんとしてきて良かったと思った。 足腰が弱った父を支えて歩きながら、姉の運転で実家に帰った。 帰り道では、姉と久々に世間話をした。 姉弟とは不思議なもので、久しぶりでも楽しく話し合えるものなんだね。 話の中で、義兄(姉の夫)が子供が生まれたことで家族を支えられるかプレッシャーに耐えられず、姉に仕事をしてくれと懇願したという話が個人的には面白かった。 それと、父のボケが夜になるとひどくなるのか、5回くらい同じことを聞いてきたが、不思議と全くイラつくこともなく素直に答えられた。 多分だけど、会社の困った若手の方が正直イラつくので、可愛いものだったのかもしれない。 両親と姉に別れを告げた後、長い道のりを運転して帰ったつもりだったのだが、気づいたら家についていた。 早く帰って妻と通話したかったので、無心で帰ったのだと思う。 毎日電話しててもやっぱり会いたいねという気持ちをお互いに確認し合った後、妻がお友達とも遊んでいいんだよ、と提案してくれたので、早速友人たちに声をかけた。 それはそれでとても楽しい時間を過ごせた。ありがとう、マイフレンズ、大好きだぜ。 その後、通信状況が悪くなったことで妻に不安感を与えてしまったことに後悔をおぼえつつも、おやすみ出来て良かったと思いながら眠っ...

会話には練習が必要なのだよ

部下というのは、決して自分の都合のいい駒ではない。同僚であり、チームメイトであり、仲間でありというありきたりな関係でいい。そして、いずれにしたって、大事にしておいて損なんてないと僕は思う。 昨日、僕の部下は悩んでいたようだった。コミュニケーションがうまくいかないという自覚があるらしく、これから一人で業務を進めていく上で必要なことだから教えてほしいというような相談があった。 例として、友達との喧嘩を挙げてきた。 友だちと勝負事で遊んでいる時、友達が悪態をついてきたので、二度とこの遊びやらなければいいよ、とボコボコに言い返してやったらしい。 彼曰く、悪態をついて喧嘩をふっかけてきて、喧嘩をふっかけてくるということは自分のことを下に見ていて舐められている、そういう奴には思い知らせなければならない、とのことだ。 これに対して、僕はいくつかの確認を行った。 なぜ、思い知らせなければいけないのか。 舐められていると何がいけないのか。 ふっかけてきた喧嘩を買った理由は本当にそんな理由か。 相手が悪態をついた理由を考えたことはあったのか。 想定通り、彼はいずれにも答えることが出来なかった。 言うなれば、その感情に対する理解が足りない、と彼に伝えた。 コミュニケーションというのは、目的があって行う行為である。 特に仕事においては、目的が達成できない会話ややり取りはそれこそ無駄と言っても過言ではない。 しかし、感情というものが阻むことがしばしばある。 そうなると、阻まれないようにまずは自分の感情を理解しないことには始まらず、 それが出来なければ、相手のことを理解することは困難を極め、 むき出しの感情をぶつけ合うだけの野性的なやり取りになってしまう。 それでいいなら、構わないのだけど。 彼はそこで感情的になってしまい、相手より優位に立たないと気が済まないことを悩みにしていたので、考慮すべきところがあった。 細かい話も色々していたが割愛する。 そして、相談の終盤では釘を刺すようにこう言った。 「と、ここまでの話を理解してくれたとしても、未だに君は“やってやった!俺は間違っていない!”って思っているに違いない。顔には出ている。自分が優位にいるのだと自然に考えてしまっていることすら、多分今は自覚出来ていないんだと思う。ここで思い返せないようでは、今後も対話そのものに苦労すると思うよ。目的を忘れ...

親を大切にしなさいとまではいわない

 肉親との関係を他人にとやかく言われる必要はないが、夫婦間くらいでは心の内を話せるようにしておいた方がいいかなって思うんだよね。 昨日の午前中は宿直明けで脳が働いておらず、正直昼間の記憶はほとんどない。 印象に残る出来事があったのは、夜だった。 妻とのいつもの通話で、妻が自分の父に対する想いを打ち明けてくれた。 これまで義母に対し、不遜な態度を取ったり、望まない生活を強いてきた義父に厳しい気持ちでいてしまうこと。 それなのに、還暦を迎え、突然しおらしく感謝の気持ちを伝えてくる父に少し嫌悪感を抱くこと。 どれもよくわかる。これまで妻が話してきてくれたからだ。 しかし、僕の想いは少し違った。 齢90を越える僕の父親は、遺された母に、先に逝くであろう自分が何も残せないことをひどく後悔していたことがあった。 それまで僕は父に対し、どうしようもない人だな、という印象があったのだが、この日を境にがらりと印象が変わった。 20代前半のある時、僕は自分に子供が出来たときにおじいちゃんの話が出来ない大人になりたくないと思ったことがあって、父親の生き様を聞かせてもらったことがある。 その日からは、父親というよりは一人の人間として認識し、どういう人なのかを少しでも理解出来た気がした。 そこからは、親に対して理不尽に感情をぶつけるようなことは全くしていない。 なぜなら、どんな人なのかを分かってきたし、彼らも人だ。どうしようもなくて当たり前なのだ。 そこから数年が経ち、おもむろに父から呼び出しがあった。 「一緒にある窓口まで連れて行ってほしいんだ。」 そこは年金機構の窓口だった。父は自分が逝った後、母に残せる年金がどれくらいあるか調べたかったようだ。 色々な背景があり、実はそんなに金額がないことを知った。 それを知った父は、これまでに見たことがないような表情で言った。 「俺は、お母さんに何も遺せないのか…。」 衝撃的だった。言葉の重みがすさまじかった。 僕はこの日の父の顔を絶対忘れない。お願いだからそんな悲しい顔をしないでくれ。 「僕らがいるじゃんか。そんなこと言わないで。」 とそれしか言えなかった。 これから父親になるからこそ、あの時この言葉が言えた自分を褒めてあげたい。 親だろうとなんだろうと、歳を取り過ぎてしまうと取り返せないものがある。 もうそこには後悔しかなくなってしまう。...

寝過ぎで後悔するということは

寝過ぎで後悔するようになったのはいつからだろうか。個人的には私生活が一変した親のために取った3カ月間の休業期間以降だろうか。 規則正しく寝て得られる活動時間を削られた方が不都合が多かったと感じるようになったのだと思う。 10代の頃は昼間まで寝るのが土日の当たり前の過ごし方だったし、何なら夜更かししてたので遅寝遅起きだったまである。 朝早く起きてやることとの違いは、親の機嫌の良し悪しや起床時間、つまり遭遇率の高さだったのではと今は思う。 逆に一人暮らししてからは、気にする必要もないので最初は嬉しくて仕方なかったのではないだろうか。 しかし、大人を知るにつれて、時間というのはお金と同じかそれ以上に大事だということに気づく。 そして、昨日は超久しぶりに昼前まで寝てしまった。大事な時間が削られてしまったわけだ。 11:00過ぎに起きてしまった。 不本意にも宿直だったため、15:30には準備に入る。 実質的な活動時間はご飯を除くと3時間半しかない! 頭をフル回転させた。 すると、妻の元へ行く前に色々と買い物を済ませる必要があった…と思っていたが、その必要もないことに気づき始める。 排水口に蓋としてシリコン製の蓋を買おうと思っていたが、アイラップに水を入れた水のうでも対応可能だし。 必要と思っていた在宅勤務用のWi-Fi中継機も会社用スマホのテザリングで繋げば良いし。 荷造りもほぼ服なので3日前くらいに完成させて、残りは2泊3日分の服で過ごせば良い。 たまたま思いついたから、時間の節約が出来た。 出来た時間で新しい家を見に行ったり、転送手続きを済ませたり、姉藻にジャガイモ送りつけたり、他に用事を済ませられたのは非常に助かった。 夕方は宿直に向かい、昇進について自学(Youtube)しながら、己のキャリアを考え、ブログを書いて、妻との電話を楽しんだ。 この一週間、一人がやっぱり寂しいということを思い出してからは妻やお腹の子が元気!とわかるだけで目頭が熱くなるようになった。 遠い大事な人が元気に生きているだけで、感情が動くということは、僕の脳が生きるために必要だと感じた証拠である。 感情とは脳が格納されている身体を死なせないために発動する防衛機能だからだ。 心して覚えておくこと。 あなたが感情を揺さぶられたとき、それは命の危機であると脳が自動的に認識しているということです。 良いか...