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よくある飲み会はもはやレアになった話

会社員やってて昇進した人って、ロールモデルの一人になると思うのだけど、経験の塊なので参考にする分には色々な人と話ししてもいいと思う。
昨日は部下の一人が本社に異動してしまうので、上司が僕と3人で飲もうと提案してきたこともあり、プチ飲み会に行ってきた。

正直、何か思うところあって飲みたかったなら、上司自ら開催してほしかったのだが、部下に幹事させておくのが彼の中の経験則であり、習慣だったのだと思う。
僕も偉くなったらやろうかな。←
いやいや、自分でやれる大人にならねば。

さて、せっかく任されたので最近食べられてない好きなお店を予約した。
この地に来てから通った好きな町中華3本の指に入る中華料理店。
餃子も大きくて肉々しく、野菜炒めが無限に食べれそうなくらい旨い。
上司が来る前に部下と2人でメニューを決めて先に頼んだ。
とりあえず、餃子2枚、唐揚げ、麻婆豆腐にした。

上司が来てから、お酒を頼み、何気ない会話で場を温めていった。
今日はわざわざ飲みに行くのであれば、上司から何か助言や格言みたいなものを言われるかと思えば、本当に何気ない飲み会であった。
部署の愚痴、未来への憂い、昔は〜話とよくある飲み会であった。
この上ない丁度いい感じ。
後半はハイボールに切り替えて、ご当地メンチ、野菜炒め、炒飯を頂いた。

今年になって、公に解禁されたので飲み会を開いてみたりするのだが、もう参加する社員も少なくなってしまった。
やれ意味がないだ、時間の金の無駄だということだろうか。
いいや、自分の時間とお金の使い道を有効にしたいのだろう。
加えて、今の人間関係を“仕事以外で”良好にすることに意味がないと感じているのだと勝手に解釈している。
彼ら飲み会不参加組にとっては意味ないのだ。仕方がない。

僕はどちらかと言うと、飲み会好きではある組だったので残念で仕方ない。
こういう場で聞けるちょっとした本音とか素性とかを今後の仕事や人間関係に生かせたからこそ、そう思う。

昨日の飲み会も、上司の考え方を知るいい機会にもなったし、異動する部下と飲める数少ない機会でもあった。
今ではレア過ぎてありがたいくらい何気ない飲み会だったのだ。
飲む量も適度で、ほんの少しだけ酔いを感じられるくらい。
楽しかった。上司に感謝しよう。

帰宅後はこの家を後にするための下準備をしながら、妻と電話で昨日あったことを話した。
お風呂に入って上がる頃には、眠気が来てたのかおやすみを告げて先に寝入ったようだ。

明日は今年最終出社日。来週から在宅勤務。
現場でやり残したことがないようにしたいね。

ももも、マリモ7号でした。

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