SNSの普及によって誰かや何かと比較することが日常になっている現代において、変わらない価値観っていくつかあると思うけど、ついさっきその一つを考えてた。
僕が20代の若かりし頃、会社や私生活で出会う30代以上の大人で、自己主張が激しい人って結構いるよなって思っててさ。
もうちょっと抑えていれば、変にヘイト買うこともないのにとか思ってたんだよ。
だけど、30代半ばを迎えてみて、思ったことがある。
いや、これは立場や家族構成によっても左右されることは重々承知している。
歳を取れば取るほど、簡単に味方になってくれる人は減る!
自分のことは自分で守るしかない大人たちは、傍から見たら自己主張が激しいんじゃないか。
という仮定に至りました。
でも、そう考えてみていると、「ああ、この人、生きるのに必要なことをしているのか。」と思って対面出来るから、変な先入観は払しょくされる気がしてる。
そして、何より、僕自身も「そうしないと厳しいかも。」と思う出来事が増えてきた。
例えば、仕事で立場が上がっていくと、誰にも頼れなくなり、弱音も吐きにくくなって、その癖要求だけはされて、駄目だったら攻められる。
子供が居れば振る舞いに気を使い、生きるために生活をしなければならなく、勝手気ままというわけにはいかない。
とにかく自分以外からの干渉に対して、ただ受けているだけでは器の崩壊は避けられない、そう思うことが増えてきた。
例えば、1日のうち、何も考えなくていい時間がないことが続くと、自分を守るために脳みそが働きかけてることが明らかだと自覚することもあったりする。
吐き出せ!吐き出せぇ!ということが出来なかった場合は、あたれ!あたれぇ!になっていく。
ため息は自分を守るための自動排出機能とは言うけれど、多分、感情というものもきっとそうだと思う。
訓練されたマリモは、出来るだけ人格の深い所にとどめて、徐々に薄めて拡散するというイメージでアンガーをマネジメントしているのだけど、限界はやはりありそうだ。
人間という枠組みがある限り、あふれ出すことは必然。そして、それは機能としてある。
僕はそれを許すわけにはいかない。
だけども、溜めすぎるのはよくない。いつか友達に言われた、「マリモさんは出してかないと。」っていうのは、ほんとそうだと思う。
こうしてブログでアウトプットしているけど、実は文字にするのにエネルギーを要するから、口頭でバーバーバーッて適当に口にした方が楽だったりする。
でも、それ自体があまりに無益過ぎて、無条件で聞いてくれるのはたぶんAIだけかもしれん。
とは言っても、今すぐどうこうしないとまずいわけではないし、今語っていることもただの杞憂で一時的な衝動かもしれない。
僕は人生の1/3を越えて、大切な人と出会い、かけがえのないものを奇跡的に享受している。
それでも、生きることには試練がつきもので、現状維持や思考停止では生き延びることが難しくなっていく。
歳を重ねること、生きにくくなるというよりは、より生きることに必死にならなければいけなくなるんだと思う。
自分と自分の身の回りを守るために、必要な主張はしないと何も守れなくなってしまう。
自己主張おじさん、おばさんは、ただ必死に生きているだけなんだ。
だからこそ、誰かに迷惑をかけていることなんて思いもしない。だって、必死なんだもの。
でもね、やっぱそういう大人にはあまりなりたくないものだな。
ああ、でも上手に主張することはいいかもしれない。その技術を身に付けるのがとても面倒なのが残念だ。
賢さと強かさ、器量も度量も、全部が全部あるわけじゃないのに。世知辛いってやつかね。
理不尽は突如降りかかってくるし、払いのけなければ死も同然と思って生きるしかない。
逆に、轟沈してもいいように、あらかじめ備えておくというのもある意味手かもしれない。
後顧の憂いがなければ、決死の覚悟も持てるというものか。
寝よう。明日が雨予報でも、晴れを待ちわびたいと思う。
自分が今、どうしたいか、明日の宿題にして、一旦この記事は終わってしまおうかな。
ももも、マリモ7号でした。
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