スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

9月, 2026の投稿を表示しています

よく考えたら満身創痍予備軍なんじゃないか?

 前回の記事に引き続き、また、消極的な健康のお話なんだけどさ、今の自分が患っているであろう症状を一覧にすると、落ち込んだんだよね。 頭からつま先まで何となく順番に書いていくとさ。 肩凝りからの時々、頭痛 視力<0.1 右側顎関節症気味 無呼吸症候群(仰向け) 喘息(+アレルギー性鼻炎+アトピー性皮膚炎) 腰痛 左足裏時々痛い 中でも致命的なのは、無呼吸と喘息と腰痛だね。 このまま歳を取ったら、本当に長生き出来なさそうで嫌だ。 それで昨日、久々かと思うくらい鏡で自分の顔見たんだけどさ、全然明るくないの。 なんていうの、疲れ切った。全く自分磨きをしていないような、諦めた顔っていうか。 こんな夫嫌だなって自分で思っちゃったくらい、残念な雰囲気だった。 何が嫌だって、この体たらくも体の不調もまだまだ予防できる域にあるってところで、まだ努力出来ていないってことかな。 いや、やればいいんだけどね。 言い訳があるとすれば、毎日の忙しさに甘えて、「ああ、俺はもう頑張ってるんだ。」ってバイアスかけちゃってたところはあるんじゃないかな。 他人行儀な言い方なのも、ぶっちゃけ本当にそうなのかわかってないからなんだけど。 でも、確かに…明後日以降のこと考えるの、正直辛いっていうか。 今日、連休最終日の宿直からの仕事直行で思ったけど、仕事においても追われ過ぎてて、1か月後1年後を考えた行動やってる暇なくて、なんか私生活も引っ張られてるのかなって。 でも、子供の成長が早いから、実質的には同じような状況というか。目まぐるしく変わるという意味では、置いてかれない努力が必要っていうか。 それなのに、どこかで“自分らしさ”や“自分が楽しかったこと”に固執していることもあって。 そういうのは必要な息抜きだとか言って甘えたりしてさ。 でも、甘えなくなって、ストイックにやっていけるかって言ったらそうでもないわけよ。 ほんと、どうしようもないねぇ。 ちょっとずつ、ちょっとずつ、出来ることを。 それもそうなんだけど、それをやっている時に、大きな壁や深い溝、災害級の大雨なんかが来たりして、エネルギーというか、活力が持ってかれてる気がするんだよね。 人生という大きな流れに乗れてないっていうか、流されてるだけっていうか。 そういう自分について考えていたら、家族を蔑ろにしていないか、時々、チェックする自分もいたり...

腰痛で将来も不安だし、今も無力だと感じちゃう話

 3日前にぎっくり腰が再発した。しかも、瞬間的に発生したのではなく、じわじわと炎症が広がっていき、最終的には腰から背中にかけて、ピキり続けるという状態になってしまったという話だ。 先日、私は子供のころの喘息が大人になって再発し、今しがた忘れていた腰の痛みが出てきて、とても不安になった。 おじいちゃんになった時、肺と足腰が雑魚なのは、さすがに未来が不安すぎる。 妻には、せめて足腰を健全に保てる努力をしては、という提案をされたので、やるつもりではある。 一方で、私の怠惰だけでぎっくり腰になったかというと、仕事の肉体労働を一生懸命やってしまった結果、起こしてしまった症状であるからして、正直、やるせなさしかない。 なんか、その時頑張っても腰はやられてただろうし、最終的には何も得していないという残念な感じになっちゃってる。 はぁ、まぁ、頑張る必要って実は人生にそんなになくて、あったとしても、ここ一番という時だというのは、ひしひしと感じ始めている。 Chat GPTに聞いたら、「(腰痛を)起こさないように頑張り過ぎないことと、起こした後も頑張らないことが大事です。」みたいなこと言われて、さらに何も言えなくなった。 本当に萎える。 友人に、リーダー目線で仕事がたくさんある時に、広く浅く進捗するのと深く1個ずつ終わらせるのどっちがいいと相談されたんだけど。 僕は「実は上司って、どんなにたくさん振ってても、1個終わらせてるだけで印象が違うんですよね。」って、深く1個ずつ終わらせる方がいいのを推したんだよね。 いや、僕が出来てねぇよ。ふざけんなと、大事なこと多すぎだろ、ク〇だな。 腰が痛いから、とにかく、回復に専念しちゃった方が長い目でみたら、痛がる時間が短いわけだけど、日々の生活に勝てなかったわ。 別に言われてないけど、凄い気を使っちゃうよ。勝手に。 仕事では全力で無視出来ると言いたいけど、人数が違うもん、代わりに仕事する人数が。 子1人、妻1人だもん。結局、妻がダウンしたら、終わりじゃんね。平均して家事しないとやっぱ無理じゃね。 この世は理不尽過ぎるとか思ったけど、実際は義両親とか両親に頼るところなんだろうか。ご近所さんだろうか。 他責という意味では、自分の親も呪っちゃう勢いだよ。 ネガティブ要素で固めたくないけど、誰の声かけも信じられなくなる。本当にそう思ってるんか?ああ...

歳を重ねることで初めて気づくことはたくさんあるね

 SNSの普及によって誰かや何かと比較することが日常になっている現代において、変わらない価値観っていくつかあると思うけど、ついさっきその一つを考えてた。 僕が20代の若かりし頃、会社や私生活で出会う30代以上の大人で、自己主張が激しい人って結構いるよなって思っててさ。 もうちょっと抑えていれば、変にヘイト買うこともないのにとか思ってたんだよ。 だけど、30代半ばを迎えてみて、思ったことがある。 いや、これは立場や家族構成によっても左右されることは重々承知している。 歳を取れば取るほど、簡単に味方になってくれる人は減る! 自分のことは自分で守るしかない大人たちは、傍から見たら自己主張が激しいんじゃないか。 という仮定に至りました。 でも、そう考えてみていると、「ああ、この人、生きるのに必要なことをしているのか。」と思って対面出来るから、変な先入観は払しょくされる気がしてる。 そして、何より、僕自身も「そうしないと厳しいかも。」と思う出来事が増えてきた。 例えば、仕事で立場が上がっていくと、誰にも頼れなくなり、弱音も吐きにくくなって、その癖要求だけはされて、駄目だったら攻められる。 子供が居れば振る舞いに気を使い、生きるために生活をしなければならなく、勝手気ままというわけにはいかない。 とにかく自分以外からの干渉に対して、ただ受けているだけでは器の崩壊は避けられない、そう思うことが増えてきた。 例えば、1日のうち、何も考えなくていい時間がないことが続くと、自分を守るために脳みそが働きかけてることが明らかだと自覚することもあったりする。 吐き出せ!吐き出せぇ!ということが出来なかった場合は、あたれ!あたれぇ!になっていく。 ため息は自分を守るための自動排出機能とは言うけれど、多分、感情というものもきっとそうだと思う。 訓練されたマリモは、出来るだけ人格の深い所にとどめて、徐々に薄めて拡散するというイメージでアンガーをマネジメントしているのだけど、限界はやはりありそうだ。 人間という枠組みがある限り、あふれ出すことは必然。そして、それは機能としてある。 僕はそれを許すわけにはいかない。 だけども、溜めすぎるのはよくない。いつか友達に言われた、「マリモさんは出してかないと。」っていうのは、ほんとそうだと思う。 こうしてブログでアウトプットしているけど、実は文字にするの...