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完璧主義ではないのに先延ばしにしてしまうよね

 最近、ポストも記事も何かをアウトプットすることが億劫になっていた気もするのだけど、今日は何だか書けそうだったから、新しい投稿のボタンを押してみた。

アイデアノートを始めてから、結構ノートに色んな話題を書き込んでいるんだけど、書き込み過ぎて記事にするのが面倒かもとか思う時もあって、ワードチョイス最悪なんだけど、消化は出来ていない。

まぁ、元々、脳内出力の機会を増やす目的もあったし、別に間違った使い方じゃないので、良しとしている。


先日、妻に「最近やること多いんだよね。」って吐露してみた。家のこと、実家のこと、仕事のこと、育児への参画等、考えることが多いし、生活する上でやっておきたいなってことも多い。

優先順位付けたり、リスト化したとしても、あ~…って言いながら、気づいたら時間経ってることってあるよね。

最近、ビジネスパーソンの悩み事コンテンツをよく見ているんだけど、この辺のTipsは何回も見聞きしてきてる。

その中でも一番しっくりくるのは、自分自身が熱を入れたいか入れたくないか、何の目的に向けてやっているかが明確か否か、みたいな内から湧き出るやる気がないって話だった。

いや、わかる。

でも、家のことを俺は蔑ろにしてるつもりはないし、むしろ湧き出る方ではあるんだけど、1日の後半や休日しかその時間が取れないから、身体の疲れが先に来ちゃうというか。

じゃあ、身体の疲れを軽減するために、体力付けようって話になるけど、いやだから、その時間を…みたいなね。


先延ばしの構造理解と対策において、行動ハードルを下げるなんて話はざらにあるから、とりあえず手をつけてしまえば何事も進んでしまうというのは頭でわかってるんだけど。

脳が大きな変化に抵抗があるから、小さな変化を増やして、自己肯定、自己効力感を育んで…みたいな話って言うのは理解できるし、実行も簡単ではあるのはわかってるって意味ね。

でも、複数のことを推し進めないといけないという壁に対して、エネルギーチャージをしなくては壁打ちを続けることになってしまう事実に天を仰いでる。


といいつつも、手を出して見たこの記事については、今、キーボードがスラスラと叩かれていることから察するに、やはり小さなきっかけは大きな成果につながるというのは事実かもしれない。(ここでいう大きな成果は投稿すること)


例えば、仕事だってタスク管理は出来ているんだけど、簡単な仕事からさっさと片付けていくことが多くて、量は熟してるんだけど、効果が少ないみたいな。

結果、成果が挙げられてなくて、「マジお前無能やんけ。」って自分が作り上げた想像上の厳しい上司に言われてる。

でも、小さな仕事も熟してないと、成果上げたって仕事量熟してないやんけってダブスタクソ上司(想像上)にも言われてる気がして、自分で勝手にジレンマを感じている。

そして、天を仰ぐわけだ。


この間知ったのだけど、人間は上を向いていると考えるのを止めやすいそうだ。

だから、天を仰ぐっていうのは、脳内が無茶苦茶になった時に有効なのは理にかなってるらしい。


話が逸れてしまったが、僕は別に完璧主義ではないけど、潔癖な面はあるから、それとなく整った状態でモノゴトを進めたいっていうのはあるかもしれないと思ってる。

特に仕事においてはそうなのかなぁ、もうちょっと自己分析する時間欲しいわ。

明日、作るか。自己分析の時間。自分と向き合いたい。ほんと、仕事中は、誰も邪魔しないでくれ。


ということで、今日思ったことを書いてみました。

次は、1日あったことをスススススーって書くだけをやってみようかな。

皆もさらさらっと読んでね。


ももも、マリモ7号でした。

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