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きっと本当のプライベートは瞬きほどしかないかもしれない

 僕は総じて幸せな方なのだが、現実というのはいつだって不幸を煽ってくる気がする。よくよく考えると、ある意味幸福かもしれないのに。

昨日は少し遅めに起きてしまったので走り書きの記事になってしまった気がするが、出社自体は1ミリも混まずに行けたのでスムーズではあった。

朝食ルーティンをこなしつつ、肩回りのストレッチだけは一昨日のマッサージ機使いすぎによる揉み返しが痛かったので避けた。ブログを更新しつつ、短めうんてぃーを済ましてから出社だったと思う。

会社というのはいつだって納期に残酷でどんなに余裕があっても、ズケズケと飛び込みで仕事が入ってくる(個人によって差があります)。

上司や先輩がお休みであることを良いことに、部下2人は早々に帰っていったが、休めるときに休んでおかないと逆に効率悪い説もあるので、許した。

一方の僕は、他の優先順位が高いかもしれないかもしれない仕事を振られる心配がないので、11月頭に終わらせないといけない仕事を進められる喜び(嘘)で震えていた。

結局2時間の残業をこなし、いそいそと帰った。


19時に退社し、今直面している現実的な問題に立ち向かおうと動き出した。

介護、相続、終活だ。親の。

マリモは少しだけ珍しい家庭で、僕と父は歳が60離れており、母は父より20若い。

僕は33歳(公言)なのでわかっていただきたいが、色々と考えなければいけないのである。

というのも、先週の金曜日くらいから姉が実家の収支関係を洗い出し始めた結果、とんでもないことが次々と見つかっているため、今の両親は今まで通り過ごしていない、ということが判明したのだ。

認知症と認められたわけではなく、とにかく怠惰にならざるを得ない、という感じか。

兄にもいろいろと報告した結果、僕の兄と姉はストレスで膨れ上がっている。


僕自身も動き出さねばならぬと、本屋へ駆け寄り、知識を得ることにした。

欲しかった本がなかったので、仕方なく楽天ブックスで買うことを妻にお願いした。

本屋を去った後はスーパーの買い物を済ませて帰宅。

そういえば、スーパーでの買い物がひとつの落ち着く時間になっていることに昨日気付いた。

何故なら考えることは、家で妻と何を食べるか、僕らが足りなくて困っている日常品がないかという、自分の家族のことだけを考えるからだ。

過去、現在、未来というより、家族のこと。これが大事な気がする。

帰宅後は、未来に憂いながらも必要なことを、1日1個ずつでもいいから進めた。

妻にも「こうしようと思う。」と伝えながら、頭の中を整理していった。


すると、妻が「今日、まだハグしていない。」と言われて、そうだ!と思ってハグをしたのだけど。

これがとんでもないことだった。

言葉に表すのは難しいが、とにかくすごい。ハグをする前と後では雲泥の差、世界が違った。

日本人よ、ハグせよ。

この瞬きほどの時間で、一日の憂いが払しょくされ、明日への活力になることが世の中にはあるのだなと、そう思った瞬間であった。


さて、夕飯が遅かったために帰宅直後に入っているお風呂が遅くなってしまったが、なるべく入眠に妨げのないことをしながら過ごし、寝入った。


今日は早く帰れる気がする。

ももも、マリモ7号でした。

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