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思い立ったが吉日、昨日何があったかな

 昨日あったこと、思ったことを書いていこうと思う。

思い立ったが吉日というけれど、ここ数カ月の間、緩やかに意識し始めたことがある。

それは、「最初の一歩が肝心」ということ。


動画作成の優先順位を物凄く下げたことで、あまり活動することがなくなってしまうので、せめてブログだけでもと思ったのは、ある晩のこと。

酷く眠れないために、昨日のことを思い出そうとしたのだけど、ところどころ妻の表情が思い出せない時があって、物凄く嫌悪感を感じたときがあった。

とても嫌だった。

それと同時に、寝るまでにあった朝から晩までの自分の行動、周りの景色、人の表情も上手く想起できない時があることに気づいた。


これの何が嫌なのかと言えば、ほぼ習慣だけで毎日を過ごしているということにある。

悪いわけではないが、無意識に脳が行動をしているものだから、“記憶する”等という余計な行動を脳が行わないようにしているということは、記憶が曖昧になってしまう。

僕はそれがとても嫌だった。何より、我が生涯をかけて愛すると誓った妻の表情を思い出せないのは、本当につらい。


惚気ていると思われる方は、そういう相手を見つけてみればきっとわかる。


さて、そこでもともと好きだったブログを書くことを打開の手として打ち出してみようと思った。

思い返すこと、反省すること、近況を書くことは、将来の自分が振り返るための手助けをしてくれるはず。

そう思って、今日から出勤前のわずかな時間を使って、ブログを書こうと思う。

故に短くなることもあるが、出来る限り毎日続けることに意味があるのだと、今は信じよう。


仕事のある日は7:10頃に起きることが多いが昨日は、7:40くらいに起床した。

トイレ行って、手洗いうがい髭剃りして顔を洗って、キッチンでヤクルトとシリアルを準備しながら、肩回りの体操をして、朝ごはんを食べたらまたトイレ。

手を洗って着替え、寝ている妻にいってくることを伝え、家を出た。

いつもより10分遅く家を出たため、遅刻するか不安だったけど、どうやら道は空いているようだった。

会社には始業ギリギリに着いたが、特に問題もなかった。

昨日は小さなトラブルの対応に追われていたことと、後輩の勉強を2時間もみていたことが印象に残っている。

あとは、追い込みの残業があったことかな。

帰宅すると夕食が遅くなるから、松屋で豚肉と茄子の辛味噌炒め定食+豚汁をいただいた。

食べながら、「家でも作れそうなメニューを1,000円もかけて外食してしまった。」という謎の罪悪感にかられていたが、マジで美味しかった。

帰宅してからは、妻と夫婦の会話を寝るまでしていた。愛おしい時間だ。

今日はその時の表情を覚えている。嬉しい。

合間に漫画を読んでいたのだけど、その話は後日とっておこう。


そんな一日だった。

明日の朝も、今日のことを思い出そう。


ももも、マリモ7号でした。

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