このブログでずーっと言ってるけど、趣味に対するスタンスだとかなんだとか。
そんなことについて書いてきたけど、志向や嗜好や思考は変わっている気がしてたまにモヤっとする。
だからこそ、今日みたいな日も必要だと思う。
そう、一定期間考えてきたことを放り出すべきだ。ブログでも動画でも。
上手く話せないと思った時こそ、ブログだよね。
さて、今回は僕が憧れていたものの正体って…という話。
僕の趣味は濃いのから薄いのまでざっくり言うとアニメ視聴、ゲーム実況、弾き語り、スノボ、卓球、テニスなのだけど、どれもいまいち感があると思っていて。
例えば、ゲーム実況って視聴回数稼ぐためにやった方がいいことってたくさんあると思うんだけど、そこまで頑張ってないよねって他人に言われれば「ああ、まぁ。」と答えてしまうくらいには諦めもある。
そして、僕がよく話題に上げる「なんでやってんだろ。」ループに突入するわけなんだけど、一瞬グッとやる気が出ても続かないといったことが日常茶飯事なんだよね。
今回、この何とも言えない中途半端さが起きてしまう原因の一つをここ最近考えていて、その結果をまとめていきたいと思う。
結論はこう。
“趣味そのものではなく、趣味を楽しんでいるその人になることに入り込んでいたいだけ”で、特に趣味を極めたいなどという高尚な理由なんてなかった。
例えば、ゲーム実況。
Vtuberがたくさんのコメントとボケツッコミを繰り広げながら楽しくゲームをやっているとして、その姿に憧れがあっただけで、Vtuber、ゲーム、配信、コンテンツ自体に憧れがあったわけじゃない。
好きを突き詰めたいわけでもなく、視聴回数や登録者数という必要なハードルを越えたいという気持ちが強いわけではない、本当にただ始めれば自分もそうなれたらいいなと思ってやってみた。
ギターの弾き語りだって、確かに一度、自分一人では実現できなかったような規模のイベントを経験出来たけれども、歌唱や演奏そのものを極めたいとか、イベントの人数をもっと増やしたいという強い気持ちがあったわけじゃない、ただ始めてみれば意外と格好良くなってしまうんじゃないかと思ってやってみた。
卓球もテニスもスノボもそう。語っている人達が楽しそうにしているのを見て、始めて見れば格好良く、楽しそうに、充実したスポーツマンライフを過ごせるのではないかと思ってやってみた。
つまり、ウルトラライトダウンジャケットならぬ
「人生ウルトラライト層」なのだ。
ある配信者の言葉で「ゲームの一定ランクを達成してそこで終わる人達がライト層だよ。」と言っていて、その定義を使わせてもらった。
質が悪いことに、人生ウルトラライト層は「まぁ、いっか。」と言いつつも、憧れることはやめない。
今でも弾き語って素敵なライブやりたいし、上げた実況動画を見続けてほしいし、スノーボードも技を気軽に決めたいと思っている自分はいる。
部活やサークル系のアニメを観て、エモいシーンを見ると「いいなぁ。」と言って僕も!僕も!僕も!と思って初めてのことをやってみたいと思うことも多い。
そうか、僕はウルトラライト層だったか。
というのが、今回の要約だ。
ありあがたいことに、色々とライトにやっていると浅くて広いスキルが身に付く。
器用貧乏と言われても文句はない。
だけれども、だからこそ熱を持てることがある人には憧れる。
そんな僕に妻は言いました。
「それってでも、あらゆることを楽しく経験できる才能でもあるよね。」
僕の愛する人たちを幸せにすることだけは、命を懸けて実現します。
ももも、マリモ7号でした。
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