誰しもとまでは言わないが僕が知る限りは多くの人間が知っている「厨二病」。
マリモも生物として例外なく(?)通ってきた道の一つであり、その形は様々だと思う。ちなみに指無手袋は小6の時に通過済み。
さて、今日のお話はその時からあった興味が今でも続いていて、考え方の根底にまで根付いてしまったという内容だ。
あ、その前に、藻類の何気ないエピソードや少しうまくいった話を何でもかんでも自慢話ととらえてしまうタイプの人はここで読み終えて、ブラウザバックした方がいいと思う。
いくつかある藻生の節目を乗り越えた話もあって、それは決して僕自身も成功体験と自慢できる話ばかりではないことを先に言っておこう。
話は戻って中学二年生の頃、マリモは約140名いる同学年のうち、中間や期末テストの全体順位が90~100位の低学力藻類だった。
当時は将来のことなんてろくに考えもせず、ただただ毎日を暇つぶしのように生きていた気がする(厨二っぽい表現キター!)。
ある時、ふと父藻から進路のことを言われた。
父藻「申し訳ないけど、お前は公立しか行かせられない。」
終わった。
もちろん、兄藻と姉藻は見事にそのハードルを乗り越えたことを僕も知っている。
話は逸れるがマリモ家は極貧とまではいかなくても貧乏寄りではあった。
衣食住もあって勉学に励めるだけの環境はあるが、父藻(75)、母藻(55)の高齢者夫婦。
とっくの昔に定年を迎え、父藻が60の時に予期せぬ子供(実際言われてたけど、良い意味でね)として生まれたマリモは、そんな事実すら分かっていない若造だった。
それに、ただでさえ低学力藻類だったやつが、公立高校なんて今からでは間に合わない。
結果、「え!?は?!無理だし!は!?」と思ってしまうわけだ。
しかし、14歳ながらも“中学浪人”というパワーワードは、深く心に突き刺さった。
両親には申し訳ないが、生まれた環境を呪いながらも進学しなければ、僕の生活、藻生が危うい状況に陥ってしまう。そう強く思った。
とにかく学力。学力だ…!5教科280点から420点まで上げなきゃいけん!!!
でも、ただ勉強するだけじゃだめだ…どうしよう…どうしよう…
苦しんでいる時に誰から教わったか忘れたが「寝る前の1時間は暗記すると良い。」ということを聞いた。
その時、マリモは素直な気持ちで「何でだろう。」と思ったのだ。
この発想が、僕のピンチを救ったといっても過言ではない。
カタカタカタと実家にある失われたOS、Windows Meを使ってヤホー!で調べた。
すると、脳は寝ている時に記憶の整理をするのだ、とヤホー!検索の結果で出てきた。
しかし、それ以上の信ぴょう性のありそうな情報は、当時のネットから探し出すことは難しかった。
本だ。図書館に行けば、そんな本があるんじゃないか。
マリモは必死だった。さっさと勉強すればいいのかもしれないけど、ただ勉強するだけでは+140点の壁は高すぎる。
すると出てくる出てくる、脳のしくみに関する本が。
タイトルは忘れたが、僕はそこに書いてあることを実際に勉強に反映していった。
・計算は朝(起きて1~2時間後)やると集中して解ける。
・暗記は寝る1時間前にやると記憶に残りやすい。
・運動もちゃんとやれ。脳に酸素を送れ。
・睡眠は記憶を整理する大事な行為。6時間は寝ろ。22時~2時は絶対寝とけ。
・復習は学んだ2日後の一番記憶から抜けやすい時にやった方がいい。
ちなみに、なんでそうなるかとか脳がどう作用しているかなどは、一切理解していない。
そうすれば、効率よく学べるって言うからやってただけなのだ。
それからは朝早く起きて、バカみたいに計算練習と授業のノート整理を進めて、夜はアホみたいに暗記系の勉強を進めた。
規則正しい生活なんてしていなかったのだけど、一気にまともな生活習慣に変化したがり勉眼鏡になってった気がする。
するとどうだろうか、2年生の夏休み明けの中間テストでは90→70位、期末で70→50位に上がっていき、3年生の間に最高順位11位を記録できた。
5教科で390~430点の間を推移するようになった時には、ストレスが半端ないことになっていった。
なぜなら、マリモの高校受験は公立単願一般入試という何の滑り止めもない直滑降コースだったからだ。
落ちたら中学浪人。そんなことって現代にあったのか…と思っていた。
点数が上がったことを喜んでいたが、当時のハードルは5教科450点だった。
もうだめだ。
と言いつつも必死の思いで入試に挑んだ結果、無事合格は出来たのだ。
超申し訳ないが当時両親から言われてた「おめでとう!出来ると思っていたよ!」に何一つ喜びなんて感じられなかった。
「誰のせいでこんな思いして受験しなきゃいけなかったんだ。」の一点だったのだ。
さて、僕からすれば成功体験というより苦い思い出だったわけだが、僕自身にとっては高校入試が上手くいってもそこでの勉学が大変だという不安だけがあった。
幸いにも、受験の時にうまくいっていた脳に合わせた勉強法はそのまま生かせた。
奨学金獲得という新たな縛りのために、クラスの半分より上位の成績でないと生活が終わる学園生活には欠かせないスキルだった。
その時から、実用書というものは実行するまでが正しい使い方なのだと思うようになった。
脳に関する行動と結果は、この身で実感することが出来たからこそ、信用に足る情報だった。
本に書いてあることは実行してこそ、その真価を発揮すると経験則を得た。
この頃には読書に抵抗がなくなってて、本当に良かったと思う。
そして、この後も脳や習慣というジャンルの本を読むきっかけが増えて、藻生の様々なエピソードの傍らに、脳と行動を紐づけるという行為が続いていくことを当時の僕はまだ知らなかった。
…後半へつづく。
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