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【7号の小言】楽しいこと、楽なことは依存性あるよね

熱しやすく冷めやすいというのは、あまり良い言葉として使われないなぁと経験上感じている。
当の僕もそういう要素があるので、そう感じやすいだけかもしれない。

以前、ブログに趣味の目標を書いたことがあったけど、「多くね?」って思った人もいたはず。
一つに絞れぬのかとか、本当に趣味と言っていいのとか。
よく言われる。

実は今年、そんな自分の少し嫌いなところを克服しようという試みをしている。

それはいつもよりも物事に対して真摯に向き合うこと。

いきなり変わることは難しいから、人に話せば物凄く小さなことだけど、個人的には納得出来る規模なのだ。

Twitterや他の記事で書いていたかもだが、例えば昨年あった仕事で使う資格試験。

結果としては落ちてしまったのだけど、毎年の別にいいやムードとは違って、受かりたいなという気持ちで勉強した。
確かに落ちたけど、自己採点上は過去最高点だったのだ。

「あ、悔しい。」という気持ちを取り戻せた。

そして同時にこれまでを振り返って思ったことがある。
それをコソッと教えようと思う。
単純な話なので、小言くらいでいいだろう。

前置き長いよな。

例えばゲーム。

僕はAPEXが好きで毎日遊んでた。
射撃訓練場でしっかりAIMを温めてた。
最低限バトルパスを110まで進めることを目標にランクマッチに潜ってた。

しっかりキル取って順位を高く出来たときの達成感、友達とわちゃわちゃカジュアルするのも最高に楽しかった。

おかげさまでAIM良くなったし、色んなキャラ使えたから、このゲームの楽しみ方は理解出来た気がした。

でも、ランクマッチは最高でプラチナⅣで終わった。
現シーズン13でいうと、多分シルバーⅠくらいだろうか。
この時にマリモのAPEX流行が終わった。

引っ越しをした。
パートナーが出来た。
スプラトゥーン3を一緒に遊んだ。
これがドハマリだった。

これもまたジャイロに慣れるためにAIM練習しながらスプラ2ではやらなかったガチ(バンカラ)マッチに潜った。
ジャロに慣れてからは試合が楽しくて仕方なかった。

パートナーとサーモンランNWを始めた。
達成感を感じられるし、一緒に難関をクリアした時の喜びは至高だった。

一人暮らしの時は、APEX。
二人になってから、スプラ3。

その環境で最も楽しく、最も遊ぶのに"楽"だったのかなと今なら思う。

これはゲームに限ったことではない。

その時、一番楽しく一番楽に進められるものが生活する上でもっとも触れる頻度が高くなる。

僕は自分が非常に怠惰なことを知ってる。

だから、習慣から外れすぎない"楽"で"楽しい"趣味をそのまま享受しちゃう。

熱しやすく冷めやすいというよりは、ただ怠惰なだけ。
そう思うからやっぱり良い言葉じゃないのかなって思っちゃう。

まるでそれに対して真っ当に向き合ってないんじゃないかって。

ゲームそのものが好きなわけじゃなくて、すぐ遊べて早く楽しい瞬間に触れることが出来るからやってるだけなんじゃないか。

そう思うときもあって、同じゲームを遊ぶ人と本当の意味で同じ目線で話が出来ない自分がいる。

でも、心の何処かで「別にいいじゃんか。」とも思う。

この葛藤を理解出来ない人もいると思う。

それでも僕はそういう思考、志向、試行があるんだよね。


ちなみに最近はAPEXがまた楽しくなってきました。
シルバーくらいには行きたいな。

コメント

  1. 「熱しやすく冷めやすい」って言葉は書いてある通り、比較対象があっての言葉だよね。
    興味のペースなんて人それぞれなんだからその言葉を使って負い目を感じるくらいなら、「好奇心が強くてそのサイクルが早い」って形に言い直した方がマイルドなんじゃないかな。

    まぁ、個人的には「熱しやすく冷めやすい」って「要領を掴むまでが早く、次の段階に移行するのが早い」くらいの意味合いで捉えてたりもする。

    返信削除
  2. その通りで7:1くらいでより得意げな人に囲まれると(^q^)ハハッてなるのよ。
    非常にありがたい表現だから、そういう風な前向きな捉え方にしようかな。

    返信削除

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