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【小言】サラリーマンショートショート#6

 本シリーズは筆者が日頃思っていることを短めの文章で紹介しながら、社会人としての悩みや思考、メンタリズムを垣間見れるちょっとしたお話を載せています。

読者の皆様の私生活のお役に立てたり、面白がってもらえたら嬉しいです。

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#6 イズ ディスコミュニケーション???

今日あったことをありのまま話そう。

僕はデスクワークが主の日だったが、部下Aは他グループのB先輩と後輩Cと現場仕事だった。

部下Aは3連休明けで雨のせいか、低気圧にやられていると報告してきて、気分が悪いようだ。

3連休取っていた部下A、割と重要なデスクワークのあるB先輩と後輩Cは当然のように部下Aに現場仕事を任せた。

僕が部下Aなら、この時点で自分に仕事の裁量が任せられているので、必要な事項を確認の上、自由に休憩したり、現場行ったりするので、何も問題のない話になっているだろう。

しかし、そうではない。

部下Aは、同じ仕事に3人も割り振られているのに、自分だけ現場仕事が納得いかなかったようだ。
ちなみに、B先輩は休日出勤していて、後輩Cは2連休してるので、一番休んでいる部下Aが現場仕事メインで良いでしょうというのは、職場の中では暗黙の了解である(良い風土ではない)。

部下Aは、現場仕事の内容をちゃんと把握していなかったこともあり、彼の立場としては「連休明けにわけのわからん作業を一人でやらされていつ休憩していいかもわからない。」という状況だと主張してきた。

一方、B先輩と後輩Cは任せた現場仕事は規則上、付きっきりである必要もなく、彼の裁量に任せているため、自由に休憩を取るなりすればいいと認識している。
何も難しいことをお願いしていないと思っているのだった。

気付いた人もいるかもしれないが、B先輩と後輩Cはデスクワークを優先的にやりたいこと、そのため、部下Aに現場を任せたいことを伝え、部下Aは現場仕事の内容を把握し、B先輩と後輩Cの状況確認をしていれば、何の問題もない仕事だと思うのは僕だけだろうか。

そううまいことはいかず。

部下Aは感情的になり、状況を確認したB先輩に反抗的な態度を取った。

この状況、非常に遺憾に感じた僕は、

「部下Aさ、この現場仕事の内容把握してたらそんな態度取る必要もないし、B先輩と後輩Cとやり取りしていれば、そんな態度取る必要ないよな?調整してよ、これぐらい。」

「B先輩、後輩C、申し訳ないですが、デスクワーク優先であることや作業分担については、部下Aと3人でちゃんと調整していただけないですか。」

と伝えつつ、特に部下Aについては、いくら機嫌が悪かろうと冷静に物事に当たるように簡単な注意喚起を行った。


この件に関して、僕はうまくやれたとは思っていない。

きっと、双方不満を残したまま、帰ったことだろう。

でも、どちらもそれぞれに反省すべき点があることは間違いないと思っている。

何度もこのブログで言っているが、仕事においてのコミュニケーションというのは“目的を達成するための手段”であるので、感情的になったり、横柄な態度を取ると目的も達成できないし、関係性も悪くなる。
したがって、理性的であることが求められるし、「何を成したかったか。」を振り返られる冷静さも必要だと思う。

僕自身も今回の件について、いくつか反省点がある。

傾聴すること。少し、それが足りていなかったと感じている。

そんな上から目線の僕ですが、現場仕事頑張っている皆を横目に、粛々とデスクワークに勤しんでいたのであった…。

ももも、マリモ7号でした。



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