妻が誕生日を迎えました。盛大に拍手を! 何か素敵なサプライズすることも出来なくて、でも気持ちを伝えたかったので、手紙を書いて渡してみたのだけど、喜んでもらえたみたいで良かったです。 誕生日当日は、妻が食べたいと言っていたからあげを買って一緒に平らげた。 週末には、誕生日ケーキを二人で平らげたり、プレゼントを買いに行ったりした。 たったこれだけのことなんだけど、僕は祝えて嬉しい。 何か感動的なサプライズが出来なかったことは悔やまれるし、数年後には何か言われそうな気がしなくもないけど、それでも僕は嬉しい。 年齢を重ねるにつれて、形にこだわってしまうのではないかと不安になるけど、とにかくこの世に彼女が生まれた日は、嬉しいことこの上ないのだから、祝いたいという気持ちだけは忘れてはならぬ。 だから、その日はほんの一瞬だけ我が子のことを横目に、付き合っていた頃から今日までに貰った妻からの手紙を読み返していた。 普通に泣いたよね。 あまりに当時の気持ちが走馬灯のように駆け巡って、感情が込み上げてくるんだもの。 それだけ書いてあることに説得力というか、気持ちがこもっていたのでは、と勝手に解釈している。 折角だからと、今は共有で使っているカレンダーも数年前から遡り、どんな予定を組んでいたか見返したりもした。 この頃こんなことしてたなとか、そんなことを思い出しながら、妻のことをどう思っていたか、今はどう思っているかなどを自分の中で練り上げて、言葉にしてみた。 手紙には、感謝の気持ちと思っていることを出来るだけわかりやすく表現してみたのだけど、ちゃんと伝わったみたいで嬉しい。 我が子にも、手紙っていいぞ、っていうことをちゃんと伝えたい。 言うことも大事だけど、文字に残すことの尊さと偉大さを理解してもらうには、多分今から20年くらいかかると思う。しかも、早くても。 大昔、文字を作り、それを伝える手段にした偉大な人間達に感謝を。 皆さまのおかげで、僕の気持ちを妻に伝えられています。 ところで、手紙書いてて思ったのだけど。 最近、毎日ちゃんと思ったことを口に出来ているのか考えてみた。 仕事では体裁を整え、私生活では目的意識を持った発言をしているので、あまり感情を優先させていないのは何となく理解している。 感情はエネルギー。エネルギーは生み出さないといけない。 だけど、逆に感情を扱わないとエネル...